ピッパ・ノリス氏のdigital divideは2001年に出版されたが、その2年後〔2003年〕に出版された次の本も、デジタルデバイドをより深く理解する上で有用かと思われるので、少しばかりご紹介しておきたい。すでに刊行から8年経っているので、この本も今の状況からすると古くなっている点もあるが、「社会的包摂」(Social Inclusion)や「社会的排除」(Social Exclusion)をICTの文脈で議論した数少ない専門書として、参考になる部分は少なくないと思われる。日本では、「社会的包摂」は社会福祉の分野で盛んに用いられているように思われる。メディア論の領域では、これとやや近い概念として、「社会関係資本」(Social Capital)があり、こちらの方がインターネットとの関連でよく検討されているようだ。ICTと社会的包摂の関連では、欧州委員会(European Commission)がe-Inclusionという政策を推進しており、本書との関連が深いと思われる。

→ e-Inclusion (European Commission)

・Mark Warschauer, 2003, Technology and Social Inclusion: Rethinking the Digital Divide. MIT Press
『テクノロジーと社会的包摂:デジタルデバイドを再考する』

 著者は、もともとデジタルデバイドという概念を手がかりとして研究を始めたが、世界各地でフィールドワークを重ねるうちに、デジタルデバイドという概念のもつ問題点を感じるようになり、最終的に「ICTと社会的包摂」という研究テーマにたどりついた、と序章に書いている。

 デジタルデバイドに関する従来の議論(1990年代)では、デジタルデバイドを「ICTへのアクセス手段を持つ者と持たざる者との間の格差」として捉えており、持たざる者に対して、ICTへのアクセスを与えることが政策目標になっていたが、著者はフィールドワークを通じて、こうした視点に疑問を抱くようになったという。これを象徴するために、3つのエピソードが紹介されている。ここでは、そのうちの一つだけを翻訳しておきたい。

<スラム街の「壁の穴」>

 2000年、ニューデリー政府はIT企業と共同で、「壁の穴」実験(Hole-in-the-Wall experiment)と呼ばれるプロジェクトをスタートした。これは、スラム街に住む子どもたちにコンピュータへのアクセスを提供する試みだった。ニューデリーでもっとも貧しいスラム街に5台のコンピュータ・キオスクを設置した。コンピュータの本体はブースの内部にあったが、モニターは壁の穴から突き出しており、コンピュータのマウスの代わりに、特注のジョイスティックとボタン類が設置されていた。(2000年の時点では)キーボードは提供されていなかった。コンピュータはダイヤルアップ回線でインターネットに接続されていた。

 最小介入教育という理念に沿って、教師もインストラクターも提供されていなかった。その狙いは、子どもたちが大人の教師の指示を受けることなく、自分自身のペースでいつでも自由に学習ができるようにという点にあった。

 報告書によると、このサイトに群がった子どもたちは、自分たちだけでコンピュータの基本操作を教え合ったという。彼らは、クリックやドラッグの仕方、異なるメニューの選び方、コピペの仕方、ワードやペイントソフトの使い方、インターネットへのつなぎ方、背景の壁紙の変え方、などをすることができるようになった。このプロジェクトは、研究者や政府当局者から、インドや世界中の貧困な人々をコンピュータ時代に招き入れるものとして称賛された。

→(参考) CNNリポート: CNN on slumdog Millionaire's Real inspiration



 しかしながら、コンピュータ・キオスクを実際に訪問してみると、少し違う現実が見えてきた。インターネットはほとんど機能していなかったので、ほとんど使われていなかった。教育番組は利用できなかった。また、子どもたちが唯一理解できるヒンズー語のコンテンツも提供されていなかった。子どもたちはジョイスティックなどの操作を覚えたが、実際に費やす時間のほとんどはペイントソフトやコンピュータゲームだった。子どもたちを指導する教師やインストラクターもいなかった。近隣地区の両親たちは、このキオスクに複雑な感情を抱いていた。歓迎する住民もいたが、大部分の親たちは、キオスクが子どもたちにとって有害だと感じていた。ある母親は、「私の息子は学校での成績もよかったし、宿題も熱心にやっていたのに、今ではコンピュータゲームに夢中になり、学校の勉強がおろそかになっている」と(筆者に)語った。つまり、コンピュータを使った最小介入教育方式は、ほとんど教育効果がないことがわかったのである。

 ※訳者注:著者の現地調査は、2000年時点のものであり、その後「壁の穴」がどう改善されたかは、本書ではわからないが、上記のCNN特番の映像を見ると、コンピュータの仕組みやコンテンツ、ネット接続環境などもかなり改善されているようにも思われる。この社会実験に関する詳しい情報は、次のウェブサイトを参照されたい。

Hole-in-the-wall.com

 このようなICT導入プロジェクトは、ICTを通じて人々の生活を改善しようという真摯な動機で実施されたものだが、思いもかけない失敗に終わるケースが少なくない(日本でも、1980年代、政府のかけ声のもとで各地にニューメディアが導入されたが、ほとんどは失敗に終わったという先例がある)。その大部分は、ハードウェアとソフトウェアを導入することだけに関心が向き、ヒューマンな側面、ソーシャルな側面がおろそかにされた結果だといえる。

 ICTへのアクセスというのは、物理的な、デジタルな、人的な、社会的な資源からなる諸要因の複雑な配置の中に埋め込まれたものである。もし新しい情報技術への有意義なアクセスが提供されるとするならば、コンテンツと言語リテラシーと教育コミュニティと制度などが十分に考慮されなければならないだろう。

 そのためには、従来の「デジタルデバイド」という概念装置に代わって、「社会的包摂」という概念枠組みを採用することが必要だ、と著者は考える。

<社会的包摂>

 社会的包摂、社会的排除の概念は、もともとヨーロッパで開発されたものである。個人や家族や地域社会が社会的に全面的に参画し、自分たちの進路をコントロールできるようにすることを目指すもので、そのために、経済資源、雇用、教育、健康、住宅、余暇活動、文化、市民活動などの関連要因を考慮に入れる点に特徴がある。

 本書では、新しい情報通信技術を用いて新しい知識にアクセスし、採用し、創造する能力が現代における社会的包摂にとってきわめて重要だとの認識に立っている。具体的な研究設問としては、次のようなものがある。
・ICTへのアクセスはなぜ、どのように社会的包摂にとって重要なのか?
・ICTへのアクセスを持つとはどういう意味か?
・社会的包摂へのアクセスは多様な環境の中でどうすれば最大化できるか?
 
 研究の焦点をデジタルデバイドから社会的包摂にシフトさせるというのは、次の3つの前提条件にもとづいている:
(1)新しい情報経済とネットワーク社会が出現していること、
(2)ICTがこうした新しい経済と社会のすべての側面で決定的に重要な役割を果たしていること、
(3)ICTへのアクセスがこうした新しい社会経済において、社会的包摂性を規定する要因になっていること

 なお、本書で用いられるデータは、インド、ブラジル、エジプト、中国、アメリカでのフィールド調査にもとづいている。

 著者によれば、社会的包摂を促進するICTへのアクセスは、単に機器やネットワークを提供するだけでは達成できない。目標となるクライアントやコミュニティのもつ社会的、経済的、政治的なパワーを増大するには、さまざまな資源を動員することが必要である。その資源とは、「物理的資源」「デジタル資源」「人的資源」「社会的資源」の4つである。物理的資源とは、コンピュータやテレコミュニケーションへのアクセス(従来のデジタルデバイド論の対象)を意味する。デジタル資源とは、オンライン上で利用可能なデジタル素材(コンテンツや言語)のことをいう。人的資源とは、リテラシーや教育の提供を意味している。社会的資源とは、ICTへのアクセスをサポートするコミュニティ、制度、社会構造(いわゆる「社会関係資本」のこと)をさしている。これら4つの資源とICT利用との間には、反復的な関係がある。つまり、それぞれの資源はICTの有効活用に貢献すると同時に、それぞれの資源はICTの有効活用の成果ともなっているということである。したがって、これらの資源をうまく活用すれば、社会的発展と社会的包摂を促進するという好循環を生むことが期待される。

→以下、詳しくは原書をご参照ください。
 Technology and Social Inclusion: Rethinking the Digital divide.