ウィキペディアには3つの基本原則があるという。それは次の3つだ。
(1)中立的な観点
 信頼できる情報源にもとづいて記述すること。とくに論争的なテーマの場合には、賛否両論を併記する、など。
(2)検証可能性
 ウィキペディアに追加された情報が、信頼できる情報源によってすでに公開されていることを検証できること
(3)独自研究は載せない
 書物や学問として確立している情報の要約のみを掲載すること

 それでも、これに反する記事が含まれる可能性はつねにある。とくに問題になるのは、特定の個人を誹謗中傷するような内容、特定の宗教的信条やイデオロギー、偏見を含んだ記事、客観的事実に反する内容の記述、匿名編集に伴う問題などだろう。いくつかの有名な「事件」を例にとって、考察してみよう。

◇シーゲンソーラー事件

 アメリカの著名なジャーナリストであるジョン・シーゲンソーラーが、ウィキペディアの自分に関する記事に、「ケネディ兄弟の暗殺に荷担していた」という虚偽の記載があったとして、2005年11月29日のUSAトゥデイ紙に論説記事を発表した。その後、ウィキペディアは問題の記事部分を削除した。この事件の経緯は、ウィキペディアの「ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争」という項目に詳細にわたって記述されている。問題の部分は、次のような内容だった。
「ジョン・シーゲンソーラー・シニアは1960年代はじめ、ロバート・ケネディ司法長官の補佐官だった。一時期、シーゲンソーラーは、ジョンとボビーのケネディ兄弟暗殺に直接関与していたと考えられていた。これに関しては何も立証されていない。」
 この事件の経緯は、ウィキペディアに次のように記述されている。
 2005年9月、シーゲンソーラーは、ウィキペディア英語版に投稿されていた自分の記事に、誤った経歴が記載されているのを発見した。その記事では、シーゲンソーラーがジョン・F・ケネディおよびロバート・ケネディの暗殺事件にかかわっていた可能性が示唆されており、それに加えて、シーゲンソーラーが一時期ソビエト連邦に住んでいたとの記述および、シーゲンソーラーがある広告企業の創業者である旨が記載されていた(実際に広告企業を創業したのは兄のトーマスであり、自身はこの会社には無関係だった)。これらの情報は誤りであったため、2005年10月、シーゲンソーラーはウィキペディアの創始者であるジミー・ウェールズに、記事の是正を要請。これを受けて、記事のうち、誤った情報が記載されていた版が削除されることになった(この削除された版は、現在では管理者にのみ閲覧可能となっている)。誤った記述は、記事が投稿された2005年5月以降、4ヶ月間にわたって放置されていた。また、これらはウィキペディアの管理下には置かれていないいくつかのミラーサイトでは、記事の削除後数週間にわたって、引き続き誤った記事が閲覧可能の状態にあった。〔2011年11月19日閲覧〕
 この事件をきっかけとして、ウィキペディアでは2つの方針を付け加えた。
(1)匿名のIPユーザーには、記事を新規作成する機能を与えないこと
(2)存命中の人物に関しては、否定的なものでも、好意的なものでも、単に疑わしいものでも、出典がない、または出典があいまいで、議論の余地が残る内容は、議論を待たずただちにウィキペディアの記事から削除すること(リー『ウィキペディア・レボリューション』p.358-359より)

 これによって、少なくとも英語版に関する限り、特定個人が名誉毀損を受ける確率は低くなった。日本語版ではどうなのか、不明である。

◇エスジェイEssjayの経歴詐称事件

 これは、ウィキペディアの歴史上もっとも恥ずべきエピソードだといわれている。2005年にEssjayというハンドル名でウィキペディアに登録した人物が、宗教関連の記事を多数編集し、5ヶ月後にはウィキペディアから管理者に指名された。Essjayは、自己紹介のページで、自分はアメリカ東部の私立大学で神学の大学課程および大学院課程を受け持っている。また、神学の博士号、教会法の博士号を持っている」と記述していた。その後、ピューリッツアー賞を受賞したシフという記者が2006年7月号の『ニューヨーカー』誌で、Essjayを取り上げ、「膨大なトピックを監視するウィキペディアの英雄の一人」として称賛する記事を書いた。シフは独自取材にもとづき、Essjayのことを「私立大学の宗教学の終身教授」と伝えた。しかし、こうした経歴はまったくの嘘であることがわかった。Essjayは実はケンタッキールイヴィルに住む24歳の種誌であり、終身教授などではなく、学位ももっていないことを告白したのである(リー『ウィキペディア・レヴォリューション』pp.367-368より)。

 この事件は、2007年2月に、『ニューヨーカー』誌が訂正記事を出したことによって、広く世間に知られるようになった。

 このような経歴詐称は、ウィキペディアの記事内容の信頼性を疑わせる可能性があり、大きな問題となったのである。

→ 詳しい経緯は、ウィキペディアの「Essjay騒動」の項目を参照されたい。また、リー著『ウィキペディア・レヴォリューション』pp.367-368、アスリーヌ著『ウィキペディア革命』pp.54-56にも、この事件に関する記述がある。

◇ネイチャー誌(イギリス)の比較調査

 これは事件という訳ではないが、2005年12月、世界的に有名なイギリスの『ネイチャー』誌が、ウィキペディアの記事がブリタニカ百科事典と遜色のない正確さをもっている、とする調査結果を発表したことから、「ウィキペディアの信頼度の高さ」が評判になったというもの。ネイチャー誌では、ウィキペディア英語版の主として科学分野の42項目について、ブリタニカ百科事典と内容を比較した。審査は項目に関連する専門家が当たったという。調査の結果は、次のようなものだった。

 最終的に、極めて重要な概念に関する一般的な誤解など、深刻な誤りが見つかったものはわずか8件で、それぞれ4件ずつという結果になった。ただし、事実に関する誤記、脱落、あるいは誤解を招く文章はいくつも発見された。Wikipediaにはこのような問題が162件あったのに対し、Britannicaのほうは123件だった。(cnetニュース2005年12月6日より)
 

 このCNETニュースの見出しは、「「Wikipediaの情報はブリタニカと同じくらい正確」--Nature誌が調査結果を公表.」となっており、ウィキペディアの正確さを強調するものになっている。世間一般でも、そうした認識がなされるようになった。  しかし、最後の下線部(引用者による)をみると、誤記のカウント数は、ウィキペディアの方がブリタニカより39箇所多い(24%の差)という結果であり、信頼性はブリタニカ百科事典の方が高いという結果になっている。  また、アスリーヌは『ウィキペディア革命』の中で、今回の調査対象項目は、科学分野というウィキペディアにとって最も得意とするところに限定されていた、という問題点を指摘している。もし、歴史、政治、宗教、哲学などに関する項目を取り上げれば、おそらくブリタニカの方がはるかに高い信頼性をもっていると判定されただろう。見出しだけが一人歩きした事例といえる。

◇ウィキペディア記事引用禁止問題

 これは別の記事でも取り上げたが、アメリカのミドルベリー大学史学科で、学生に対しウィキペディア記事を引用することを禁止するという対応をとった、という出来事があった。当時の朝日新聞では次のように報道されている。
 米バーモント州にある名門ミドルベリー大学の史学部が、オンラインで一定の利用者が書き込んだり修正したりできる百科事典「ウィキペディア」を学生がテストやリポートで引用することを認めない措置を1月に決めた。日本史の講義をもつ同大教授がテストでの共通の間違いをたどったところ、ウィキペディア(英語版)の「島原の乱」(1637~38)をめぐる記述にたどり着いたことが措置導入の一つのきっかけになった。(朝日新聞2007年2月23日
 具体的には、次のような経緯があった。
日本史を教えるニール・ウオーターズ教授(61)は昨年12月の学期末テストで、二十数人のクラスで数人が島原の乱について「イエズス会が反乱勢力を支援した」と記述したことに気づいた。「イエズス会が九州でおおっぴらに活動できる状態になかった」と不思議に思って間違いのもとをたどったところ、ウィキペディアの「島原の乱」の項目に行き着いた。
 同大史学部では1月、「学生は自らの提供する情報の正確さに責任をもつべきで、ウィキペディアや同様の情報源を誤りの言い逃れにできない」として引用禁止を通知した。ドン・ワイアット学部長によると、「同様の情報源」とはウェブ上にあって多数の人間が編集することができ、記述の正確さが担保できない情報源を指すという。(同記事より)

 しかし、こうした引用禁止措置は他の学部では広がらず、他の大学でもこうした引用禁止措置を行う大学があるという報道はその後なされていない。この事例も、ウィキペディアに関する極端な反応の一つであり、一般化することはできない。現時点では、引用する場合には、「閲覧時点」を明記し、引用部分であることがわかるような記述にする、という指導が多くの大学では行われていると思われる。また、出典先(島原の乱の場合には、神田千里著『島原の乱』中央公論新社など)をあたって、正確さ、信頼性を確認することを勧めるという指導法が多くとられているように思われる。

◇記事の当事者による編集

 自分のことについてウィキペディアで書かれたことについて、当事者が都合の悪い部分や誤った記述などを編集して内容を改変する、という行為はこれまでに頻繁に起きている。とくに、企業、行政機関、有名人などの記事で多く発生している。山本まさき著『ウィキペディアで何が起こっているのか』には、そうした事例がいくつか紹介されている。ここでは、内容には立ち入らず、箇条書き式に列挙しておきたい。

・楽天証券の当事者編集事件(2006年)
・「西和彦」ページの大幅削除事件(2006年)
・ウィキペディア創設者ジミー・ウェールズ氏による自身の記事編集(2005年)
・省庁によるウィキペディア編集事件(2007年)

◇特定個人、企業などに対する中傷誹謗、名誉毀損事件

・ファッションモデルに対する誹謗中傷事件(2008年)
・声優ページに対する荒らし(2008年)
・ソニーとマイクロソフトの間の編集合戦(2006~2007年)

 この数年間だけでも、これだけの事件(問題)が起きている。最近の事例はどうなっているのだろうか?
この点は不明だ。