出版大崩壊 前回は、佐々木俊尚さんによる『電子書籍の衝撃』を手掛かりに電子書籍の位置づけについて若干の考察をしてみたが、今回は、出版業界のまっただ中にいた方による「電子書籍悲観論」を取り上げてみたいと思う。タイトルは、『出版大崩壊 電子書籍の罠』(文春新書 2011年3月刊行)だ。

 著者の山田順さんは、34年間光文社で編集のビジネスに携わったあと、2010年に退社し、電子出版のビジネスを立ち上げようとしたが、多くのインタビューと取材を通じて「電子出版」の現状を調べるうちに、その未来はきわめて暗いものであることに気づき、本書を上梓するに至った、という。全編、電子書籍に対する悲観論で満ちている。業界インサイダーによる悲観論には、一定の説得力がある。電子出版が活発になれば、大きな利益をあげるのは、プラットフォームを提供するアマゾン、グーグル、アップルだけであり、紙メディアである出版社はますます売り上げを落とし、危機的な状況に陥るだけだ、と著者はいう。

 2010年は、「電子書籍元年」ともいわれ、日本でも主要出版社が「日本電子書籍出版協会」(電書協)を立ち上げ、電子書籍に本腰を入れるようになった(2011年2月現在、43社が加盟)。その背景には、次のような危機意識があったという。
1.これまで再販制(再販売価格維持制度:定価販売を義務づける法律)などで守られてきた日本の書籍の流通制度の崩壊が進む(印刷、製本、取次、書店などの「中抜き」)
2.出版社は書籍の価格決定力を失う(出版社の利益の喪失)
3.著者が著作権法に基づいて独自に電子出版するようになる(出版社を通さない「セルフパブリッシング」)(p.37)

 こうした危機感と、アマゾン、グーグルなどの「黒船襲来」が目前に迫っているという状況で、電書協を中心とする日本の出版業界は、電子出版という「開国」政策をとらざるを得なくなった。その旗振り役となったのは、講談社など大手の出版社であった。講談社の対応については、次のように述べられている。
 講談社は2010年になると、社内に各部署横断的な「デジタル事業委員会」を立ち上げ、月に1回ほどのペースで専門家を招いては社員向けのセミナーを開催するようになった。その一方で、書籍のデジタル化を積極的に進めるために、アマゾン・ジャパンなどとの協議もスタートさせた。
 こうして、「既刊書2万点のデジタル化」が決定され、現在も講談社はその方向に進んでいる(p.38-9)

 その後、他の出版社もこれに追随し、次々と電子書籍を出版することになった。その一方で、村上龍さんのような著名な作家が、自身で出版ビジネスを立ち上げ、電子書籍を販売するといった「中抜き」現象も現れるようになった。また、新しい電子書籍リーダーがソニーやシャープなどから発売され、2004年以来という「電子書籍ブーム」が再来したのである。こうした電子出版への流れは、今後とも変わらないと予想されるが、著者は、電子書籍が発展しても、紙の出版マーケットは縮小を続け、また電子書籍は出版業界に利益をもたらすことはなく、かえって自分の首を絞めるような事態になるだけだ、と警鐘を鳴らしている。出版業界の見通しについて、著者は、次のように悲観的な見方をする。
 このまま紙市場がどんどん縮小してしまうという恐怖は、出版社を経営する人間なら、毎日のように味わってきたはずだ。しかも、出版不況は、2008年のリーマンショック以降は加速化している。市場の縮小とともにビジネスを縮小均衡させるのならいいが、このまま座して死を待つわけには行かないと考えれば、電子書籍が出版不況脱出の手段と考えるのは、自然の成り行きかもしれない。
 ところがよく見れば、日本ではアメリカのように、電子書籍リーダーも売れていなければ、「iPad」さえ話題のわりには売れていない。ハードとサー支部が整わないうちに、ソフトをどんどんつくっても市場は形成されない。したがって、いまのところ、日本の電子出版は、出版社にとって不況脱出の手段とはなっていないばかりか、将来もそうなるかどうかは非常に疑わしい。(p.76-7)
 著者は、そう考える根拠として、「自炊」など電子自主出版による「中抜き」現象の拡大、「価格決定権の喪失」による利益の低減、電子書籍で売れる本は、「エロ系」(ボーイズラブやティーンズラブなど)だけというデータなどを指摘している。また、電子出版が進むと、中国などで起こっているように、「海賊版」が横行し、紙の出版に悪影響を与えることも懸念される。

 複雑な著作権問題も、電子出版の前途に暗雲を投げかけている。著者によれば、現行の著作権法は電子出版を想定しておらず、
現行の著作権法を見る限りでは、出版社は電子書籍をつくれないことになっている。ということは、アマゾンやグーグルのような企業が、直接、著者の許諾を得て電子書籍化の権利を得てしまえば、出版社は「中抜き」されてしまう。(p。147)

 一方、コンテンツのデジタル化によって、違法なコピー(複製)が簡単にできるようになっており、ソフトにお金を払う人間は少なくなった。「一般大衆は著作権には無頓着」(p.155)だからだ。その結果、「メディアは経営が成り立たなくなり、著作者は生活すらできなくなってしまう」。
しかし、一般大衆はそんなことにはおかまいなしで、キチンと買えば高価なコンテンツを、いかにタダで手に入れるかに熱中し、それがなにを招くかには関心がない既存メディアが衰退し、著作者の生活が成り立たなくなれば、その結果、良質の書籍も音楽も映像もなくなり、「学術の進歩」「文化の発展」も途切れてしまうかもしれない。
 著者はさらに、ネットワーク社会となった今日、プロの時代は終わり、契約も変わるだろうと予想する。
 20世紀の大衆文化は、ブロードキャスティング・モデルによって大発展し、それを支える多くのプロフェッショナルな職業を生み出した。しかし、ネットワーク時代になったいま、そういう人々の多くは必要なくなるのではないか。電子書籍化がそれを加速させる。
 いまやデジカメ写真と「Photoshop」がプロカメラマンにとって代わった。(中略) もういい加減、既存メディアのなかで、「プロごっこ」は止めるときにきているのではないか。既存メディアは、デジタル技術で置き換えられるプロたちに高いおカネを払う必要はない。この先、既存メディア内において、旧来の職業編集者や職業ライターが生き残るのは難しいだろう。


 著者は、自らの電子出版ビジネスで味わった挫折の経験をもとに、電子出版で儲かるのは結局IT側(アマゾン、グーグルなど)だと結論づけている。
 このことを振り返っていま思うのは、現状の電子出版でビジネスになるのは、IT側だけだということだ。コンテンツ提供側は多大な出費を覚悟して、彼らが用意したスキームに乗って走り出す。しかし、走って気がつくのは、話が違うということである。

 そして、スモールビジネスにとって電子出版がいかに採算の合わないビジネスかを検証している。これには、ユーザー側の要因も大きく作用している。つまり、「ネットはタダ」という文化だ。そのために、電子ジャーナリズムの世界において、課金制を採用して生き残れるのは、ごく少数の企業だけということになる。

 また、電子出版の時代において、「自炊」などのセルフ・パブリッシングが活気づいているが、これについても、「フラット化した世界で成功するのは、すでに作家として名前のある一部の人間だけ」「誰でも作家時代になると、コンテンツが際限なく増える。これは、ゴミが溢れるのと同じ」という否定的見解に賛意を表している。
じつは、セルフパブリッシングでの成功は万に一つのような確率でしか起こらない。メディアは成功例となると大げさに取り上げるが、その向こう側にある膨大な数の失敗例については報じない。

 確かに、著者もいう通り、マスメディアの報道には、そうしたバイアスがあることは事実である。それに乗っかって、甘い夢を見るのは禁物ということだろう。最近はやりのソーシャルメディアを使った宣伝、マイクロインフルエンサーを媒介とした宣伝についても、著者は否定的だ。

結局のところ、「ウェブは、高度情報化社会のシンボルだが、その実態はまったく逆で、じつは低度情報化社会である」としている。

 著者の電子出版悲観論は、長年にわたる紙の出版業界での経験と電子出版の試み、数多くのインタビューから引き出された結論なので、それなりに説得力jのある議論といえる。それを踏まえた上で、電子出版の今後に思いをはせることが必要だろう。