ミーム・マシン 今回取り上げるのは、スーザン・ブラックモアさんの『ミーム・マシンとしての私』(上・下)(1999=2000)である。

 「ミーム」については、「利己的な遺伝子」というブログで、すでに紹介したが、このアイディアを文化的な現象や情報革命などに適用し、ミーム学の視点から論じたのが本書である。

 オクスフォード大英語辞典によると、ミームとは、「非遺伝子的な手段、とくに模倣によって伝えわたされると考えられる文化」である。「私たち(人類)を特別にしているのは模倣の能力であるというのが本書の主題である」(P.36)と著者はいう。人間は、幼児の段階からすでに、模倣する。模倣によって人から人へと伝えられていくものはすべて「ミーム」と呼ぶことができる。「誰かからの模倣によって学習したことはすべてミームである」(p.43)。ドーキンスのいわせれば、「楽曲、思想、キャッチフレーズ、衣服のファッション、壺の作り方、あるいはアーチの建造法」はすべてミームの例である。利己的遺伝子の用法に従えば、「私たち人類は、その模倣能力ゆえに、ミームたちが拡がるためにまさに必要とする身体的な「宿主」となったのだ。これが「ミームの視点」から見た世界の姿である(p.45)」。

 ミーム理論は、ダーウィンの生物進化論と同様のメカニズムを通じて、私たち人類の精神が進化するという、新たな段階の進化を唱えたものである。そこから見えてくるものは、「巨大な人間の脳の進化、言語の起源、あまりにも多くしゃべり、考えるという私たちの性向、人間の利他主義、そしてインターネットの進化といった多岐にわたる現象」がミーム理論によって説明可能になるということである。

ミームとダーウィン主義


 ミームは、人間のレベルにおける「自己複製子」である。それは、「変異、淘汰、および保持にもとづく進化的アルゴリズムを維持しなければならない。ミームはまちがいなく変異をともなっており、物語が二度とまったく正確に同じに語られることはまずないし、二つの建物が絶対的に同じということもないし。あらゆる会話は独特である(p.56)」。都市伝説の伝播などはそのいい例である。
「このほかの例として、料理のレシピ、衣服のファッション、インテリアデザイン、建築のトレンド、政治的正義のルール、あるいはガラス瓶のリサイクルの習慣などがある。これらすべては人から人へコピーされ、模倣によって拡がる。コピーの過程でわずかな変異が生じ、あるものはほかのものより頻繁にコピーされる(p.59)」。

 ミームは、「空疎なアナロジーにすぎない」という批判があるが、決してそうではない。「ミームは人間の脳に、あるいは書物、絵画、橋、あるいは汽車といった人工物に埋め込まれた指示である(p.62)」。私なりに、あるいはマクルーハン流に言い換えると、ミームは人間レベルあるいは社会レベルの「情報」の基本単位であり、脳や外部の「メディア」を通じて、社会の中に伝達され、蓄積されるのである。ミームの生息域は、私たちの「心」である。
デネットによれば、私たちの心や自己はミームの相互作用によって作り出される。ミームは遺伝子に似た自己複製子であるばかりでなく、人間の意識それ自体がミームの産物である。(中略) 彼が指摘しているように、あらゆるミームが頼りにできる到達すべき安息の地は人間の心である。しかし、人間の心そのものは、ミームたちが自分により都合の良い生息環境にするために脳を再構築するときにつくりだされる人工物なのである。そこで作り出されるものこそは、「文化」と呼ばれるものである。

文化の進化


 文化は、ミームの模倣と淘汰を通じて進化する。言語はその一例である。世界中にはさまざまな言語があり、その多くは、淘汰の過程で絶滅し、あるものは英語のように繁栄を続ける。これは、ミームの文化的進化の一例といえる。農耕技術などの「発明」の伝播も、ミームの文化的進化の例である。ミームは、人間だけが持っている自己複製子なのである。
 私にとってミーム的な進化は、ドーキンスやデネットと同じように、人間がほかの生物と異なっているということを意味する。人間の模倣の能力が自分の利益のために働く第二の自己複製子をつくりだし、それがミーム学的には適応的だが生物学的には不適応な行動を産みだすことができるのだ。これは、強力な遺伝子によって究極的に制御されることになる単なる一時的な逸脱などではなく、恒久的なものである。なぜなら、ミームは遺伝子とまったく同じやり方において強力だからである。つまり、自己複製子としての力をもっているからなのだ(p.92)」。

ミーム 遺伝子の共進化


 人間はなぜ言語能力を発達させたのか、人間の脳はなぜかくも巨大なのか?こうした疑問に、ミーム学は次のように答える。
人間の言語能力はもっぱら遺伝子にではなくミームに淘汰上の有利さを与えた。やがてミームは遺伝子が淘汰を受ける環境を変え、遺伝子がますますよくミームを広める器官をつくるようにし向けた。言い換えれば、言語の機能はミームを広めることなのだ。
 遺伝子は今やミームによっって駆動されている。これが脳の大きさの劇的増大の由来である。

 ドーキンスによれば、成功する自己複製子には3つの規準がある。それは、忠実度、多産性、長寿である。言語は、そのいずれも備えているので、自己複製子としてふさわしい情報単位だといえる。これをミーム的な視点で言い換えると、
 人間の文法は、狩猟や食物最終や社会契約の象徴的な表現といった何らかの特別な話題についての情報を伝えるためというよりもむしろ、高度の忠実度、多産性、長寿をもつミームを伝達するためにデザインされたものである(p.212)」。

 これが上巻の抄録である。以下は大幅に省略し、「メディア論」に該当する章だけを簡単に紹介しておきたい。ミーム理論によれば、メディアはどのように捉えられるのだろうか?

インターネットのなかへ


 私たちは、電話、ファックス、テレビ、ラジオ、コンピュータ、CD、DVD、インターネットなど、実にさまざまなメディアに囲まれて暮らしている。それはなぜなのだろうか。著者によれば、「ミーム淘汰がそれらをつくりだしたのではないか」という。
ミームが出現するやいなや、それはより大きな忠実性、多産性、長寿に向かっての進化を開始した。その過程で、彼らはますますよくミームをコピーしてくれるような機構をつくりだしたのだ。したがって、本、電話、ファックス機は、ミームによってその自己複製のためにつくられたのだ。

 情報のデジタル化も、ミーム理論によれば、「貯蔵および伝達における誤りを減少させるがゆえに忠実度を高めるすぐれた方法」であるがゆえに進化したのである。多産性、長寿という点でも、デジタル・メディアは他のメディアよりもすぐれていることは自明ともいえる事実である。インターネット(ウェブ)は、その意味で、究極のミーム伝播メディアといえるだろう。訳者あとがきにも、次のように述べられている。
 ブラックモアは、遺伝子がセントラル・ドグマという形の確固たる複製機構をつくりあげたように、ミームもまた自らの繁殖のためによりすぐれた情報システムを進化させてきたのであり、印刷に始まり、電話、ラジオ、テレビ、ファックス、インターネットに至る情報革命は究極の複製機構を産みだそうとするミーム進化の産物にすぎないという。(p.231)」。


 次回は、「ミーム的世界論」を読んだ頭でもって、西垣通著『基礎情報学』『続 基礎情報学』を読み進めながら、情報、心、生命、メディア、社会の本質に迫ってみたいと思う。