パースの記号学は、原書を読んでも、難解である。また、記述も首尾一貫しているとはいいがたい。『パース著作集2 記号学』を読むと、記号・対象・解釈項の三分類図式が記述されている。それを図式化すると、次のようになる。

記号・対象・解釈項の三角形



 解釈項とは、パースによれば、「解釈者という擬似的な心の中で、記号がその心をある情態とか活動とか記号へと規定することによって作り出すものであり、この規定作用」のことを指している(p.135)。別のところでは、こうも言っている。「記号の本来の意味作用の結果に対して、私は記号の解釈項という用語を提案している」(p.139)。記号と対象の関係は、パースによれば、次のようなものとして想定されている。「何かが記号であるためには、それは何か他のものつまり記号の対象と言われるものを「表意」しなければならない。」(p.4)

 私流に、この三角形を、従来の記号論の成果を盛り込んで、次のように読み替えることを提案したいと思う。

記号・意味作用・情報


 ある主体(生命レベルでいえば、細胞や器官など、ヒトレベルでいえば個人、社会レベルでいえば集団)は、何らかの記号(表意体)を知覚したときに、何らかのコンテクスト(青い円の部分:ルーマン流にいえば「成果メディア」)において、一定のコード(プログラム)を用いて「意味作用」することによって、何らかの「情報」を獲得する(あるいは発生させる)。そのプロセスは上の図のように示される。ここで、コンテクストやコードが送り手と受け手との間で共有されているならば、コミュニケーションによって、特定の情報が首尾よく伝達されたと考えることができる。

 このように考えると、「情報」とは、何らかの記号から意味作用によって「表象」されるものだ、ということになる。記号とは物質・エネルギーのパターンを指している。「鶏」と「卵」のたとえで言えば、記号が鶏で卵が情報だということになるかもしれない。本当はどちらが先に生まれたかはわからない。たぶん、同時に生まれたのだろう。

たとえば、医者が患者の「発疹」から「はしか」という病気の有無を診断する場合、「発疹」という症状(=記号パターン)から、医学上のコード(医学の知識体系など)やコンテクスト(発疹したときの状況、患者の年齢や病歴など)を用いて、意味作用をし、その結果「はしか」という診断情報を獲得するということになる。この場合、「はしか」は、「発疹」の意味(内容)である。それが信頼できる情報であるかどうかの判断は、「医者-患者」の関係性や医療機関の権威性などいった「成果メディア」の如何によってある程度規定される。もし患者が「はしか」という病名(情報)に満足できず、セカンドオピニオンを求めて他の病院へ行き、別の医者の診察を受ければ、その患者は他の「情報圏」(あるいは「記号圏」)へと移動したとみなすことができるだろう。たとえば、東洋医学とか自然医学は、西洋医学とは別の(医療)情報圏をつくっており、そこには別のコードが存在し、別の医師(解釈主体)が、別の診断を行うだろう。

 次回は、ホフマイヤーの『生命記号論』を読みながら、記号や情報の意味についてさらに考察を進めたいと思う。

 その前に、「生命記号論」へつなげるために、もう一つの三項モデルを提示しておきたい。それは、次のようなものだ。

記号解釈主体と客体


 「意味作用」を行うためには、もちろんその「行為主体」が存在しなければならない。この場合には、記号の「解釈主体」ということになる。これは「意味作用」の項に含まれている。それに対し、「記号」は、解釈される存在なので、「解釈客体」と言い換えることもできる。すると、「情報」は意味作用の結果、解釈された内容、つまり「解釈内容」と同義である。

 さらに、三番目のモデルを提示しておこう。それは、次のように示される。

送り手・受け手モデル


 これは、伝統的な「コミュニケーション」モデルと一致する。記号が「送り手」というのはちょっと変だが、梅棹忠夫氏もいうように、月や太陽などの「天体」さえも、「情報を発信している」と考えれば、それほどおかしくもないだろう。

 さて、最後のモデルは、記号→媒体→情報という三項関係を示したものだ。

記号・メディア・情報の三項関係


 「記号」を「情報」と結びつける役割を果たす存在、それは「メディア」ではないのか?細胞も、器官も、生物も、人間も、新聞も、テレビも、インターネットも、すべては「記号」を「情報」に結びつける役割を果たしているのではないだろうか?その意味では、等しく「メディア(媒体)」と呼ぶことができる。つまり、ホモ・メディエンスである。これで、「汎記号論」「汎メディア論」「汎情報論」がめでたく握手することになったとはいえないだろうか?ちなみに、「メディア」ということばの起源は、ラテン語のmediusないしmediumだったが、16世紀頃に英語のmediumとして使われた当時は、「中間的ないし媒介的な位置に横たわっているもの」という意味をもっていたということだ。
 
 いま一つ、最大限に拡張された三項関係を示しておきたい。それは、物質→エネルギー→情報という関係だ。

物質・エネルギー・情報


 以前のブログでも紹介したように、『情報学事典』によれば、「学問的には、情報は物質やエネルギーと並んで、宇宙における根源的な概念ととらえることができる。」これは、ノバート・ウィーナーや吉田民人氏の情報概念がもとになっていると思われる。上の図式では、3つの概念が単に並列しているのではなく、「エネルギー」が物質と情報を媒介する役割を果たしているという関係を示している。たとえば、地球という物質が現在ある形態(つまり情報)を維持しているのは、エネルギーの力によるものだろう。生物もまたしかり。記号=物質、媒体=エネルギー、情報=エントロピー(正確にはネゲントロピー)という関連性が認められる。

 パースの三項関係で、もっと身近な例はないだろうか?たとえば、ジャーナリズムの活動は、様々な情報源に対する取材活動を行い、それをもとに記事を書くという行為である。それは、次のような三項関係であらわすrことができる。

ニュース取材の三項関係


 この場合、情報源はヒトであったり、団体であったり、資料であったりするが、いずれも「記号」と考えても差し支えないだろう。「取材」は、情報源とニュースを媒介する「メディア」としての役割を示している。ニュース(記事)によって、人々は最新の情報を手にすることができるというわけだ。

 世論の形成過程といったものも、この三項関係で図式化することが可能かも知れない。民主主義社会における世論のもとには、間接的しにろ、討論がある。最終的な政策には、世論を媒介とした討論の結果が反映されているのである。政策=情報というのは、ちょっと不自然のような気がする。しかし、たとえば林雄二郎先生は、情報を「可能性の選択指定作用をともなうことがらの知らせである」(『情報化社会』より)と定義しており、それほど的外れともいえないのではないだろうか。

世論過程の三項関係


 このような例は、あげていくときりがないので、この辺でやめておく。いずれにしても、世の中のさまざまな現象は、三項関係でみていくと、案外わかりやすく理解されることがわかった。チャールズ・パ-スも吉田民人氏も、すべてを三分類して捉えることで知られているが、弁証法ではないが、やはり3という数字にはなにか本質的な鍵が隠されているのかもしれない。ちなみに、パースの有名な記号の三分類、イコン→インデックス→シンボルも、三項関係で表現すると、よりわかりやすくなるような気がする。イコンは、物質そのものの類似性が意味を表象している。インデックスは、モノを指差ししたり物質の一部分を強調したりすることで意味を表出する。シンボルは恣意的、契約的な記号である。この図で示されているように、インデックスは、イコンとシンボルを媒介する位置にある。「これ」とか「あれ」ということばは、それ自体はシンボルだが、特定の物質を指差すという行為を伴っているので、インデックスであり、イコンとシンボルを媒介する役割を果たしていると考えられる。

イコン・インデックス・シンボル