生命記号論 今回は、デンマークの生化学者、ジェスパー・ホフマイヤーの『生命記号論』を読むことにしたい。全体として、非常に読みやすい翻訳だ。著者によれば、「記号が人間社会ばかりでなく、生命界にも等しく満ちあふれているとするのがここに新たに生まれつつある生命記号論、バイオセミオティクスの中心テーマである」という。

 序文では、著者の造語になる「記号圏」ということばの意味が説明されている。それをここで引用しておきたい。


 記号圏とは、大気圏、水圏、生物圏と同様に地球上のある領域を指す。記号圏は他のどの圏内にも入り込み、その隅々まで広がっており、音、匂い、身ぶり、色、形、電界、熱放射、全ての波動、化学信号、接触その他のありとあらゆる種類のコミュニケーションを統合して出来上がった一大圏である。一言で言えば、生命に関わる記号全てのことである。(中略)この地球上の生命は全てこの記号圏に産み落とされる。それにまともに適応することがそこで生き抜くための条件となる。(中略)私たちは、今やこの惑星上の生き物は全て、生態系の巨大な集合、生物圏の一部として生存していることを知っている。(中略)生物が感知することは全て、その生物にとって意味を持つ。その意味とは、食物、逃避、生殖であったり、それへの失望であったりする。
 実際、昨年3.11の東日本大震災では、福島原発事故の影響で、世界的な生態系に深刻な影響が及び、上のような認識を世界中の人々が共有したのではないだろうか。

1 宇宙の誕生・意味の発生: 「なにもない」虚空から、そこに浮かぶものへ


 ビッグバンと宇宙の誕生は同じ意味を持つ。観測衛星COBEは、いまから150億年前のある瞬間に宇宙を完全な虚空から生み出したビッグバンの痕跡を捉えることに成功した。これは、宇宙背景放射であり、その波長と温度から、ビッグバン後約70万年の頃に存在していた、エネルギーに満ちた光の宇宙の痕跡だと考えられている。「COBEの観測が新たにもたらしたのは、この宇宙が始まった初期の状態を示す宇宙背景放射の中に不規則なゆらぎが認められたとする発見である。(中略)この発見こそ宇宙の誕生を証明する証拠だと考えられている。」(p.17) 

 このゆらぎの存在は宇宙の生成を説明する上で重要な発見である。なぜなら、「このゆらぎが、宇宙に恒星や惑星さらには銀河といった物質の集塊が存在する理由を説明するからである(p.18)」。では、なぜ物質は均等に広がらなかっただろうか?なぜ宇宙にエネルギーは均質に分布していないのか?この疑問に向かうことが本書の主題に関わることだ、と著者はいう。この問いは、「もともと何の意味もないところからどのようにして意味のあるものが生じてくるのか、いいかえれば、虚空から一体どのようにして、意味が生じてくるのか」という問いである。

 人は、完全な虚空といえどもそれに対処すべき術を生まれながらに備えている。これは、「~ない」という簡単な否定語の中に秘められている。もし私たちが存在する何か、たとえば路上に落ちている鋲などを心に描けるとするならば、私たちは鋲が落ちてい「ない」道を想像することができる。
 虚空は本書の中心となるテーマ、意味の発生とまさに対をなす概念である。
 ウィルデンはその意思疎通の研究において、「~ない」という単語はもともとは、単にAまたはBを選ぶといいう行為の規則そのものだということを示した。しかし、このAまたはBを選ぶという行為は人間が行ったりもしくは考えたりする全ての事柄に暗黙のうちに含まれているものであり、かなり根源的な規則である。なぜなら、区別することによってのみ私たちは常に周囲の現象を分類している。これはコーヒー、これは木が倒れるところ、これはパトカーが迫っていることを示す甲高いサイレン、というように。このような認識の過程においていつでも、本質的に同一のことが行われている。ある要素(コーヒー、木、サイレン)は他の全てのもの(背景)から区別され、私たちは形態(ゲシュタルト)を作りだす。要するに、私たちは「~ない」を使って区別している。(中略)ウィルデンはこのことを次の図に示した。

境界



 この図はゲシュタルトを示している。青色を背景(B)とした白い穴(A)。つまりこの図から私たちはBであるなにかと、Aであるなにかを区別している。この図上のすべての点はAかBのいずれかに属している。
 ウィルデンが指摘しているのは「~ない」という単語は、その穴の円周、つまり穴と穴以外の境界に対応しているということだ。「~ない」は境界なのだ。この境界すなわち円周は、独特の位置にある。なぜならそれはそれを心に描いたもの、観察者の心の中以外には存在しないからである。言い換えれば、その境界は「誰か」がその穴を認識しないかぎり、この世の中には存在しないのだ。(中略) ウィルデンは、私たちは心の中で考えるときでさえも、AとAでないものの境界を引くことで、現実と非現実をともに含む全世界を二つの部分に分割している。その境界を策定するという行為は、少なくともAにも非Aにも含まれない一つの領域を定義している。
 この系こそが「誰か」である。その枠組みはそれ故、その系の上位に目標志向型の別の系が存在することを主張する。

2 失われるもの、生き残るもの: 生物の歴史と記号

 
すべての生物の肉体は脆弱で、死んでしまえば、原則としてすべてが忘れられてしまう。にも拘わらず、生殖という巧妙な方法のおかげで、遺産が子孫に残される。この遺産の継承、遺伝は高度に洗練された現象であり、その本質を適切に表現することは至難である。生殖の本質は私たちが記号化と呼ぶ原則、より正確にいえば、記号過程の中に存在している。(p.34)
 それでは、生命の本質はどこにあるのか?著者は料理のレシピに喩えて、次のように言う。
 すべての生命体は二つの側面を持って存在している。一つは「血と肉」を持つ生体として、もう一つはその存在を記号化した記述としてである。後者は遺伝物質であるDNA分子に委ねられている。簡単に言えば、遺伝物質には生体の作り方が記号化されて書き込まれており、それは料理の本の中にあるレシピに晩ご飯のおかずの作り方が書いてあるのとほぼ同じである。(中略) 受精卵はその遺伝物質の内部にレシピをしまい込んで持っている。ここには、生体を組み立てるためのやり方が単に記号化されて記述されているだけであって、この地球上では生命を持つものの中で受精卵だけがこの記号を読み取り、その情報を翻訳し生体を作り上げることができる。(p.38)

 さらに「取扱説明書」の比喩を用いて、遺伝子の存続と生体の死について、こう述べている。
 生殖という方法によって次の世代に送られるのは記号化された取扱説明書、遺伝子である。その一方で生体は必ず死ぬ。つまり、実際に生き延びるのは記述された記号、すなわちその生物個体の表象であり、個体そのものではない。生命は記号化された形で生き延びる。(中略) 過去の世代によって蓄積され、遺伝物質の形で記号化された取り扱い説明書のうち、幸運なものが他のものと引き合わされ、新しいパターンへと混ぜ合わされたものとなる。

 次のところで、著者はパースの記号論の意義を説明している。
 パースは、二項関係の論理はあまりにも制限がきつ過ぎる、とのすばらしい発見をした。二項関係に基づく論理は一次元の線形の連鎖にならざるを得ず、分岐することができない。
 彼は、論理的なプロセスはむしろ多次元のネットワークとして考えるべきだと信じた。そのようなネットワークは、三項関係によって作り上げることができる。例えば、原因と結果という二項関係に新たに観測者を加えるという形で示すことができる。(中略)これによって、私たちが真実だと考えられる推論を描くためには、「誰か」(例えば観察者)が必ず存在するという事実を認めざるを得なくする。

 パースの記号論は、次のように紹介されている。
 パースはこの三項関係における基本的な関係要素を極めて簡単に記号と呼んだ。(中略)パース自身は、かなり謎めいた言い方で記号を定義しているが、それを私なりにわかりやすくなるよう、言い換えたものをここに示しておこう。「記号とは・・・ある観点なり立場から誰かに何かを表すものである」(p.42)

 具体的な事例として、子供の発疹と医者による診断の例があげられている。
 例えば、突然赤い点々とした発疹が出た小さい子供の場合を考えてみよう。母親は子供を医者に連れて行き、医者は子供がはしかであると診察する。医者にとって赤い発疹は、はしかを示す記号である。しかし母親にとっては、この記号は単に子供が病気であることを示すにすぎない。つまり、赤い発疹は誰に対しても自動的にはしかの記号となるのではなく、「ある立場にいる誰か」、すなわち医者にとってのみはしかという記号となる。この関係は三つ組で描くことができ、同時にそれはパースの一般的な記号の三項関係の一つの例証となる。
 一般的な例で説明すると、記号は三つの要因の間の関係を表す。
(1)第一の記号-記号そのものを表すもの(例:発疹)
(2)第一の記号(例:はしか)が示す対象(物でも抽象物でもよい)
(3)「解読をするもの」すなわち、第一の記号とその対象の関係を解釈する過程(例:医者の頭の中での診断の過程)
 パースの枠組みで用いる記号という言葉には、すべてこれらの三つの要素が存在していなければならない。

発疹とはしか



 
 それでは、この三項関係は、個体の発生にどのように応用できるか?著者は次のように述べている。
 胚発生あるいは個体発生は、その親からの「記号化された情報」を含む一次元の「DNA配列」から、三次元の「血と肉を持った身体」が作られるという、三つの要素から成る記号過程である。ゲノム(個人の遺伝情報の総和)は、この意味で記号の乗り物、より正確に言えば生体の作り上げ方を示す、記号の乗り物一式である。

  それでは、この場合、記号を解読するものとは一体誰なのか?それは「卵細胞」だ、と著者は考える。
受精卵は少しずつゲノムを解読し、何十億という細胞系列に分裂し、生体になってゆく。これは、次のような三項関係で表すことができる。

個体発生の軌道


 ここで注意しなければならないのは、受精卵は、ただ記号を読み取るのではなく、さまざまな状況や文脈に合わせて記号を読み取っており、それによって、異なる個体発生の軌道を描くこともある、という事実である。例として、無害のバッタから有害のバッタへの「変身」がみられるという事例があげられている。この場合、環境の変化に合わせて、「同じDNAが異なった仕方で解読される」という現象がみられるのだ。(p.45)これは、「状況に従って解釈を変える機構が組み込まれている」ことを示している。

 次に、生態系のレベルにおける記号解釈について述べている。それは、「生活の状況すなわちニッチ(生態学的地位)が、種というよりむしろ系統(進化の単位としての種を意味する)に取り入れられる」ということである。すると、世代毎に種とニッチの照合が行われ、その度ごとにその種と環境の相互作用が異なった結果を生じさせると、それはどのような個体が多くの子孫を残すかという生殖の傾向に反映される。(中略)ある時間と空間において実現された肉体が一次元の遺伝情報に変換され、生殖を通して次の世代が利用できる遺伝子の説明書が変更される。

 この過程は、記号論的な過程とみなされる。「この現象をより生物学的な言い方でまとめると、生殖のたびに能動的な環境の翻訳が行われているということになる。」(p.47) では、この翻訳を行うものは「誰か?」。その答えは、「ニッチの状況を未来の世代に課せられる要求そのものの記号として翻訳するのは系統だ」ということになる。その記号過程は、下の図のように示される。
 

生態学的地位と系統


  つまり、「生殖における傾向を手段として利用し、系統がそのDNAの内容を変化させ、書き換えられたものが次の世代へと手渡される」と考えられるのである。

3 宿命と自由の相克: 習慣化する自然と傾向


 ある観点から見ると、自然は習慣化する傾向を持つというパースの理論は、持続的な発展過程の一つの極の中に現れてくるように見える。もう一つの極は「無政府状態」と呼ばれる状態である。それは、新しい「発明」によってその習慣の支配から独立を繰り返し求める自然の傾向のことである。簡単にするため、自然の歴史の中に現れるこの相反する二つの傾向を、宿命と自由と呼ぶことにしよう」(p.54)。

 あるレベルでの自由の欠如は、より高いレベルでの自由をもたらすことがある、と著者は言う。そして、「特定の法則や習慣が確立されると、実際の予測能力を発展させることが可能になる」という。「この能力こそがすべての生命体をそれ以外のものから区別する特徴」だと著者はいう。ここで著者が主張したいことは、「生物はその存在自身で習慣を獲得する自然の傾向をもっている」ということである。このような、制約と自由の相克の中から、生命が誕生したのではないか、と著者は考える。

 その最初の決定的な出来事は、すべての高等生物にある「真核細胞」の出現である。真核細胞は「核」と呼ばれる遺伝物質の貯蔵所をもっている他、多数の細胞小器官を持っている。ミトコンドリアはその一例である。この真核細胞は、ある種の「共生」によって作られたように思われる。「内部共生説」である。そして、「人体も基本的には、何百兆というバクテリアで構成された内部共生のシステムである」と著者はいう。

 真核細胞が形成されると、、個々の原核細胞は真核細胞によって設定された状況を受け容れるため、ある程度その自由が奪われてしまう。ここに新しい習慣が出現する。(中略)
 細胞が無秩序な自治を放棄して、そして私たちが生命体と呼ぶより大きな全体に服従することで、さらに素晴らしい創造の段階への準備がなされることになった。今や、洗練された感覚器官の発達でそのペースは速まり、それに対応して神経系が発達する、これにより、動物は周囲の環境に対してより正確に調整された環境世界の印象を自分のうちに形成することができるようになった。外部世界の主観による経験、「環世界」は、詳細なものになり、水平な記号過程は次第に大きく成長していく。それは遊びや性的関心を引くための嘘や策略の過程であり、地上の生物を互いに結びつける唯一の方法である、そして再び、自由がここに登場してくる。」(p.62)

 しかし、生態系が形成されるにつれて、新たな宿命が現れる。「食物連鎖が網として密接に統合され、一連の回路によって次第に閉じたものになって行く時、それに伴って個々の種に特定の役割を果たすよう強制する、より高次の論理が出現してくる。(中略) どのような独創性であっても、ある意味では錯覚であって、この惑星の生態系がたまたまそこに提供したニッチに合うものだけが存続することになる。」(p.64)

 それでは、すべての生物は、こうした生態学的宿命を受け容れなければならないのか?その答えはノーである。人間が、言語という記号論的自由の武器を手にしたからである。
「自然法則がずっと長い間堅固な足場を築いてきた原子の世界とは異なり、言語の世界は自由である。その世界では何でも起こり得る。他の生き物では見ることのできないこの言語による絆を介して、人間は自らを宿命から解き放つことになった。」(p.65)

 ただし、言語においても宿命となる習慣化がみられる。それは、標準化への傾向である。また、文明化は、新しい基本計画が受け容れられることへの表明であり、この基本計画とは人間の考えや行為の予測不可能性を高めたり、低めたりするものである。ここで見られる進化の力は、「創発」という言葉で表現することができる。

4 自我の発明: 生物と自己言及、主体性の問題


 著者によれば、地球上の生き物はすべて、DNAを介してある種の自己記述を行っているという。
 DNA分子上の暗号として書かれた生き物の譜面にとって重要な特徴は、そのデジタル性である。(中略)DNA上のデジタル記号で書かれた生き物の譜面を参照する上で、自己言及あるいは自己記述という用語を使うことに関して、とてつもない疑問が私に生じて来る。「自己」という言葉は一体何を表すのか、そしてこの何かが「自己」となるのはいつのことなのか。
(中略)
 今世紀の生物学をめぐる論争の核にある問いは、生命がどのようにして現れたか、である。ある人達は核酸(DNAあるいはRNA)が最初の生命を形作ったと考えており、また別のグループの人達は最初に生じたのはタンパク質を溜め込んだ原子細胞であり、DNAとRNAは後に「発明」されたものだと主張する。現在、有力視されている理論では、RNAが初期の生命の駆動源であったと言う。
 細胞とRNAの内、どちらが最初であったにせよ、私の理解では、生体とそのデジタル記号の両方が揃うことによって初めて、「自己」すなわち生命が存在できるようになった、となる。
 。(p.79)

 著者は次に、地球上の生き物が発するメッセージについて述べている。そして、「すべての生き物は予測できない未来に生まれてくる生き物に向けて進化のメッセージを渡すべく、その一生を送るのだ」という。「生き物は生き残りのための情報を載せた乗り物であるというよりも、生き物それ自体がメッセージである」ともいう。
 ここにおいて、生き物はすべて死すべき運命であることが重要な役割を果たす。死すべき運命の個体を介して初めて可能となる存続の形式がある。生き物は次世代に自己記述としてのDNAメッセージを残す限りにおいて、記号論的に生き続けるということができる、このようにして、生物学においても、自己言及は避けがたいものになる。
(中略)
 人間以外の生き物に対しても「自己」あるいは「自我」という言葉を使うことは許される、と私は敢えて言いたい。生物は自己言及的な存在であり、歴史を持ち、周囲のできごとに選択的に反応し、現在を未来に取り込むことにおいて進化的になる。(p.89)

5 生命記号圏の幕開き: 感受する生物の世界


 動物の「感覚世界」への先駆的研究者の一人に、エストニア生まれのドイツ人生物学者、ユクスキュルがいる。ユクスキュルのライフワークの核心は、「環世界」でもって言いあらわされる。

 

 ユクスキュルの観察では、動物はその一生をいわば自分自身の主観世界、それぞれの環世界の中に閉じこもって過ごすことになる。現在の生物学ではそれに対して生態学的地位(ニッチ)という客観的な用語が当てられている。それは特定の種が生存するための生活場所、食物、温度などその他一連の条件で特定された状況を指す。環世界とは、動物自身が認知する生態学的地位ということもできる。

 

 ユクスキュルの考え方は、その本質において記号論的あるいは生命記号論的なのだが彼自身はこれらの用語を決して使わなかった。おそらく、彼がパースの仕事に精通していなかったためだと思われる。彼の学説の要点は、個々の細胞も生物個体もともに外部の力によって動かされるだけの受動的な存在ではない、という指摘にある。生物は自分自身の環世界を創り、それによって自然そのものを作り上げていく主体の一部となる。 (p.97)

 

 環世界理論は、生き残るのは遺伝子、固体、種だけではなく、むしろ、翻訳のパターンであることを私たちに教えてくれる。ある生物にとっての環世界は、その生物が感覚を介して周りで起きるできごとや重要な局面を自分にとって不可分にしたものであって、その意味で生物による周囲の現象の征服であると見なすことができる。環世界とは生物が自分の視点から眺めた世界の表現、となる。(p.100)

 

 環世界は、生物が周囲の世界に対して窓を開く方法であるということもできる、その中で生物は自分にとって重要な意味を持つ局面を選び出し、それを記号として認識する。

・・・生物は自分の環世界を通して周りの生態系と記号論的な関わりを持ち、その一部になって行く。これは水平方向の記号過程であって、生態系の隅々まで及んでいく。

 

 進化が進むにつれ、生物の環世界は相互に次第に複雑なものへと発展して行き、それを通して水平方向の記号過程は垂直方向の記号過程から独立して行く・・・周囲の環境からの記号を翻訳する個々の生物個体の能力が高まるにつれ、交配をめぐる競争は、限られた範囲においては、厳格に遺伝子の指示に従うものの、ますます複雑になる記号論的な様式に織り込まれて行くことになる。

 

 生物進化における最も顕著な特徴は個体構造の驚くべき多様性やその構造にあるのではない。本質は「記号論的な自由」の一般的な拡大傾向に認められる。それらは、フェロモンから鳥のさえずりへ、また免疫抗体から日本式の歓迎作法へ、と至る過程で認められる。この過程を通して、伝達される意味の豊かさあるいは「深さ」が増大して行く。(p.105)

 

 記号論的な自由とは、個体や種が周囲と相互に伝達することができる「意味の深さ」と定義することができる。


(以下、略)

 本書は、生命現象や意識、心といった現象を、パースの記号論に依拠しながら、記号論的に解釈したものであり、非常に興味の深い内容の本である。著者の専門領域である生化学的な知識を、専門外の素人にもわかりやすく解説されており、専門家以外の読者にとっては、謎解きエッセイのように楽しみながら読むこともできる。本書の魅力を知るには、実際に手にとってお読み頂きたいと思う。本書についての感想、評価はまた別の機会にしたいと思っている。