西垣通氏は、情報を「生命情報」「社会情報」「機械情報」に三分類して、基礎情報学を展開しているが、日常生活における情報を分類する試みというのも、あってしかるべきだろう。

 常識的ではあるが、情報を次のように三分類して、「情報」についての理解を深めてはどうだろうか?

ニュース、娯楽、知識


(1)ニュース情報
(2)娯楽情報
(3)知識情報

 すべての社会情報は、これらのうちのいずれかに属している。コミュニケーションにおいて交わされる情報は、これらのうち、いずれかに属する。パース流に、それぞれの情報の記号過程をみていこう。

(例)「今度の花子はいい」という発話をめぐる記号過程

今度の花子はいい


 まずは、「ニュース情報」の生成過程について。だれかが、ツイッターで「今度の花子はいい」とつぶやいたとする。「花子」というグラフィックソフトについて知っている人の多くにとっては、この発話は初耳で、「今度の花子はいい」という言語記述を読み、「それは知らなかった」と反応するかもしれない。そこでは、「花子」に関心のある人は、「今度の花子はいい」という情報は「ニュース」として受け取られることなる。この情報の送り手が、ツイッターでつぶやくことで、ニュースの伝達を意図しているのであれば、受け手による「知らなかった」という解釈は、「ニュース」として受け止められたわけであり、「ニュース情報」として共有されることになる。

 次に、「知識情報」の記号過程について。「今度の花子はいい」という発話に対し、このソフトを実際に使ったことのある人は、「今度の花子はいい」という評価情報が,本当か嘘かを判定し、「今度の花子はいい」は本当だ、と同意するかもしれない。その場合には、この発話は「知識情報」として認定され、「今度の花子は本当にいい」という「知識情報」として保存され、記憶されることになる。花子を使ったことのない人にとっても、もし「今度の花子がいい」という情報を別の情報源から得ている人にとっては、この情報は、もはや「ニュース」ではなく、一つの知識になっている。つまり、ニュースというフロー情報が、知識というストック情報に変換されたことになる。ただし、裏付けがない間は、未確認の知識にとどまるが、、、

今度の花子はいい(2)



 最後に、「娯楽情報」の生成過程について。「今度の花子はいい」というツイートを「おもしろい」「楽しい」と受け止める人は、「今度の花子はいい」はおもしろい、と感じるかも知れない。その場合、この発話から引き出される情報は、娯楽性を帯びたものとして受け止められたわけであり、「娯楽情報」が生成することになる。

今度の花子はいい(3)



 このように、同じ発話(言語表現)に対して、その意味作用(解釈)を通じて、3つの異なる種類の情報が生成することになる。「ニュース情報」「娯楽情報」「知識情報」の三項関係は、次のようにあらわされる。

今度の花子はいい(4)



 「今度の花子はいい」は、送り手にとって新しい発見であり、それは発信すべきニュースだと感じられるかもしれない。しかし、受け手がこの情報を単に「たのしい/おもしろい」と受け止めれば、これは「娯楽情報」になる。実際にこのニュースに接して興味を持ち、実際に使ってみた結果、「いい」と同意すれば、それは「今度の花子は本当にいい」という知識に変換されることになる。使ってみたけれども、それほどいいとは思えなかった場合には、「今度の花子はいい」という情報は、「嘘だ」という別の知識に変換されることになるだろう。ツイッターでの発言は、このように「ニュース」「娯楽」「知識」という三種類の反応を引き起こす。

 これら三種類の情報は、ニュース→娯楽→知識、という三段階の「進化」を示す。ニュースは、発話そのものの「新旧性」にもとづく情報化であり、「娯楽」はこのニュースとしての発話からさらに進んで、「娯楽情報」へと変換されるという意味では、「コノテーション」であり、一段と進化したレベルの情報化を示す。さらに、実際の使用体験や、たとえばネットの口コミサイトなどでの「検証」「評価」を経て、「知識」へと進化し、人々の記憶にとどめられることになるかもしれない。ツイッターでのつぶやきの多くは、ひまつぶしのネタ、つまり「娯楽情報」のレベルにとどまり、長く記憶に定着されることはないだろう。

 「知識」とは、もともとはニュースとしての情報が、体験や検証、評価を経て、「真/偽」を確定されたものであり、ある特定の「知識共有コミュニティ」やその他の社会の中でストック情報として共有されたものである。「~すべきだ」「私は~と思う」といった意見も、新しく発話されたものであれば、「ニュース」とみなされるし、検証を経て真偽を判定されれば、それは「知識」の一部になってゆく。Aさんが日頃から特定の意見を繰り返し発言していれば、人々は、Aさんがこういった意見を持っているのだ、という「知識」になってゆく。世論といった集合現象についても、それが「世論調査」などでデータの形で表明されれば、それはニュース性を帯びるとともに、それが繰り返され検証されることによって「知識」にもなってゆくのである。

道具的情報、自己充足的情報


 情報はまた、しばしば「道具的情報」(instrumental information)と「自己充足的情報」(consummatory information)に二分される。ビジネスの場面で交わされる情報は、たいていの場合、「道具的情報」である。これに対し、ツイッターなどで表明される情報の多くは、「自己充足的情報」である。いま書いているブログ上の情報も、半分以上は「自己充足的情報」であり、なにか特定の目的を達成するための「道具的情報」とはいいがたい。道具的側面があるといえば、このブログで使われている「花子」のグラフィックスがいかに「いい」かを宣伝しているという点に求められるかもしれない。あるいは、パース流の三項関係図式がいかに有効かを顕示するという目的のための道具的な役割を担っているにすぎないのかもしれない。

 この二分類に加えて、「フロー情報」と「ストック情報」の二分類を交差させることによって、情報の四類型をつくることができる。ネット上のサイトをこれに当てはめると、次のようになるだろう。

フロー情報対ストック情報の4類型


ニュース、評価、知識

 
 一般に、ニュースは受け手により評価され、検証された上で「知識」という形に変換(情報化)される。知識を持った個人は、たとえばYahoo!知恵袋などの「知識共有コミュニティ」サイトで、質問者に回答(記号化)することによって、コミュニケーションを継続する。質問者は、新たなる「受け手」となり、記号解釈のプロセスが新しい個人によって再開されることになる。複数の回答が寄せられ、それらを比較検証することによって、知識は次第に正確なものとなってゆく。「ベストアンサー」が選択されると、それは新たな「知識」としての地位を獲得し、多くのユーザーによって共有されることになる。

 このプロセスを図式化すると、次のような循環的プロセスとして表現される。

ニュース、評価、知識