メディア・リサーチ

メディアとコンテンツをめぐる雑感と考察

カテゴリ: メディア一般

Tarcott Parsonsと並んで、構造機能主義社会学の大御所といわれた、Robert Merton。彼は一時期、マス・コミュニケーション研究にも手を染めていたことがある。初期のマスメディア効果論の代表作の一つ『大衆説得』(Mass Persuasion)は、Mertonが主導して行った調査研究であった。その過程では、Paul Lazarsfeldが深くかかわっていた。この間の経緯と「大衆説得」研究の概要、マス・コミュニケーション研究における位置づけを、Scannell(2007)などに依拠しながら振り返ってみることにしたい。

「大衆説得」研究までの経緯


Merton の生い立ちと社会学研究

 Robert Merton (1910~2003)の両親は、ロシア系の移民で、フィラデルフィアに移り住んだ。Mertonの博士論文は、「17世紀イングランドにおける科学、技術、社会」という歴史社会学に関する研究であった。1930年代には、ハーバード大学で、Talcott Parsonsらとポスト博士課程を過ごし、交友を深めた。

Merton
その頃のMertonは、Parsonsとともに、ヨーロッパ社会学に深く傾倒していた。Parsonsがウェーバーをドイツ語から英語に翻訳したのに対し、Mertonはデュルケームをフランス語から英語に翻訳し、アメリカの社会学会にヨーロッパ社会学の成果を広めるのに貢献した。その後、両者は構造機能主義的な社会学理論を展開し、アメリカ社会学における金字塔を打ち立てたのである。

Lazarsfeldとの出会い

Mertonとマス・コミュニケーション研究の関わりは、戦時中の一時期に限られている。そのきっかけは、1941年に彼がコロンビア大学に籍を置くようになり、Lazarsfeldの同僚となったことにあった。彼は、1942年から71年にかけて、Lazarsfeldの創設した応用社会学研究所(Bureau of Applied Social Research)の所長を務め、多くの社会学的な業績を残した。かの有名な「大衆説得」研究は、彼の所長時代に行われたものである。そのきっかけは、Lazarsfeldの着想にあった。Lazarsfeldは、戦時債権の募集キャンペーンのためのマラソン放送が、短時間のうちにきわめて大きな影響を及ぼしたことに注目し、これを類まれな「メディア・イベント」として研究することを提案した。実際の事例研究はMertonをリーダーとして実施され、『大衆説得』(Mass Persuasion)という書物に結実することになった。

ケイト・スミスとマラソン放送

研究対象となったマラソン放送とは、1943年9月にCBSラジオで放送された、18時間連続のキャンペーン番組である。番組のホストを務めたケイト・スミスは、アメリカの生んだ国民的な歌手であり、当代随一の人気を誇るラジオ・タレントであった。

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 放送当時、彼女は30代で、その人柄から国民から広く親しまれていた。1938年には「God Bless America」を録音し、それはアメリカ賛歌としての地位を確立したのであった。翌年にはホワイトハウスに招かれて、初来米した英国のエリザベス女王の前で歌を披露するという栄誉にあずかったほどである。ルーズウェルト大統領は席上、ケイト・スミスを「これがケイト・スミスです。これがアメリカです」と紹介したという。

 第二次大戦中、ケイトは2つのラジオ番組に定期出演し、1000万人もの聴取者の人気を博した。こうした文脈の中で、CBSは戦時債権募集のキャンペーン放送のホスト役として、ケイト・スミスに白羽の矢を立てたのであった。

 アメリカの戦時債権は、1945年末までに1850億ドルもの売り上げを記録し、戦争遂行に大きな役割を果たした。アメリカ政府や企業は、各種の広告を通じて債権の販売促進を行ったが、それに加えて、ラジオのキャンペーン放送を通じて、さらに戦時債権の募集を行った。最初のキャンペーン放送は1942年11月に開始され、第3回のキャンペーンは1943年9月に実施された。9月8日にルーズヴェルト大統領の演説が行われたあと、2週間後にCBSラジオはケイト・スミスとともに、聴取者に直接訴えかけるキャンペーン放送を行ったのである。それは、スミスとCBSにとっては3回目のラジオ債権キャンペーンであった。しかし、今回は18時間にわたって、スミスが15分ごとに生出演するという「マラソン放送」であった。彼女の努力によって、多くのリスナーがラジオ局に直接電話をかけたり、手紙を書いたりして、戦時債権を積極的に購入し、4000万ドルもの売り上げを記録したのであった。

「大衆説得」研究とその成果

研究の概要

Lazarsfeldはこの放送を一大メディア・イベントとして捉え、ラジオの影響力を示す格好の出来事として、Mertonを説得して、調査研究に取り組むよう進言した。最初はあまり乗り気ではなかった学究肌のMertonではあったが、結局この研究に引き込まれ、フォーカス・グループ調査など先駆的な手法を駆使した独創的な研究を展開することになったのである。この研究は、(1)ケイト・スミスの放送に関する内容分析、(2)放送を聞いた約100名のリスナーに対するインテンシブなフォーカスグループ・インタビュー、(3)約1000名を対象とする世論調査、の3つから成っていた。

 内容分析は、放送の客観的な特性を明らかにしてくれた。インタビューは、具体的に説得がどのように行われたかを明らかにするものだった。そして世論調査は、インテンシブなインタビューの結果をクロスチェックする素材を提供してくれた。方法論的にみても、この研究調査は、実証的なマス・コミュニケーション社会学におけるお手本を示すものとなったのである。

 このマラソン放送の「時間的な構造」を明らかにすることを通じて、Mertonは、なぜこの番組がかくも多くのリスナーを最後までひきつけ、債権購入に至らせたのかという、巨大なメディア効果を明らかにしたのであった。その中で、ケイト・スミスは、まさにマラソン競争の選手のように、最初から最後までリスナーとともに走り続け、リスナーを番組の虜にしたのであった。

テーマ分析の結果

放送内容を分析した結果、スミスが語ったことの約50%は戦時の犠牲に関するものであり、それが当時のアメリカ人に大きな影響を与えたことがわかった。犠牲を払っていたのは、戦場の兵士、一般市民、そしてケイト・スミス自身の三者であった。

  残りの50%のうち3つは、戦争の努力に対する集合的参加、戦争によって引き裂かれた家族、前2回のキャンペーン放送の達成額を超えること、というテーマに当てられた。これらは、内容や行動に関連するものであった。その他の2つのテーマはこれとは違っていた。「パーソナルなテーマ」と「簡便さのテーマ」は関係性あるいはメディア志向的なものだつた。パーソナルなテーマは、このイベントが会話的な特徴を帯びていたことを反映していた。スミスはリスナーに向って、「あなた」「私」という親密なフレーズで語りかけたのである。「簡便性」とは、電話一本で債券を申し込むことができ、放送局の回線はいつでもオープンだということを強調したことである。多くのリスナーは、直接スミスと話すことができると期待して電話機をとったのである。電話は、ケイトースミスとリスナーをパーソナルに結びつける役割も果たしたのである。

  それでは、何故この放送はかくも大きな説得力を発揮し得たのだろうか。その最大の要因は、スミスのパーソナリテイと、番組に取り組む真摯な姿勢であった。しかし、それは戦争債券を売り込むという搾取的な目的とは相反するもののように思われる。Mertonは、擬似的ゲマインシャフトという用語を用いて、このパラドクシカルな状況を説明している。放送局の送り手は、ケイト・スミスという国民的なアイコンを利用して、受け手の感情に巧みに訴えかけ、莫大な債券を受り込むことに成功したのである。マートンは、背景にある搾取的な戦時体制のディレンマにも批判的な目を向けたのであった。

マス・コミュニケーションの機能

 LazarsfeldとMertonは、同じ大学の同僚として、緊密な関係を続けたが、その間、マス・コミュニケーションの機能に関する重要な論文を共同で執筆している。それは、Lyndon Bryson編集のThe Communication of Ideas (1948)という書物に収録された、「マス・コミュニケーション、大衆の趣味、組織的な社会的行動」  と題する論文である。そのきっかけは、Mertonが『大衆説得』を出版してから数年後、思想のコミュニケーションに関するセミナーでLazarsfeldが発表したメモをMertonが出版することに同意したことにある。Lazarsfeldは、Mertonがまとめた論文に、自分の発表内容に加えて、「マスメディアのいくつかの機能」に関するMerton独自の論考によるページが新たに加えられていることを知り、2人の共同執筆論文として発表することになったのである。この論文は、現代社会におけるマスメディアの影響力について、批判的な視点から分析したものであった。

 なかでも、後に有名になったのは、マスメディアのもつ3つの機能に関する部分である。Mertonは今後研究されるべきマスメディアの機能として、次の3つをあげた。
  1. 地位付与の機能
  2. 社会的規範の強制
  3. 麻酔的逆機能
   第一に、メディアは公的争点、人物、組織、社会運動などに地位を付与することによって、正当化のエージェントとして作用する。もしこれらが公認され、メディアによって取り上げられると、それは重要な事柄だと認知されるようになり、取り上げられないと、認知されずに終わる。これは、のちに現れる「議題設定機能」とも符合する考え方であった。第二に、メディアは既存の社会的態度や価値観を、規範から逸脱する考え方に否定的な宣伝を行うことによって強制するという機能を有する。これによって、個人的な態度と公的な道徳との間の乖離が縮小する。以上2つがプラスの社会的機能だとすれば、麻酔的逆機能はマイナスの機能といえる。Mertonによればマスメディアは大衆に対し、民主的なプロセスに参加できるという幻想を創り上げることを通じて、政治的無関心を助長し、民主主義をかえって減退させている。擬似的な世論が形成され、それが民主的な意思決定過程への参加を妨げている、というのである。

  このように、MertonはLazarsfeldとの共同論文の中で、のちの大きな影響を及ぼすことになる、マス・コミュニケーションの機能に関する卓越した洞察力を示したのであった。

参考文献:
 Paddy Scannell, 2007, Media and Communication. Sage Pubication.

 
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シカゴ学派=実証的アメリカ社会学の出現

 毎年、いま頃になると、講義の話題は、いわゆる「メディア効果論」になる。5回位を費やして、歴史的な展開を論じるのだが、その出発点は、1930年代のラジオ研究にまで遡る。1930年代のアメリカは、「ラジオ」というニューメディアが急速に普及し、大きな社会的影響力を及ぼしていると信じられた時期である。ちょうど、いまのインターネット普及時代に類似した、転換期の社会だったといえるだろう。19世紀に入ると、ヨーロッパから大量の移民が流入し、都市部では人種のるつぼ的な状況で「大社会」が現出したともいわれた。シカゴ大学を中心として、多くの社会学者がこうした状況で「社会」とは何か、「コミュニケーション」とは何かという、時代を映し出すテーマについて、理論的、実証的な研究を精力的に行ったのである。

 シカゴ大学では、エスノグラフィックな質的調査が重視され、多くの優れた都市社会学の成果が生み出された。その伝統は、「シカゴ学派」として、現代まで連綿として続いている。

コロンビア大学=定量的コミュニケーション研究の始まり

 一方、ニューヨークのコロンビア大学では、定量的な調査研究によって、ニューメディアであるラジオについて、実証的な調査研究を行おうとするプロジェクトが行われた。その主導者が、Paul Lazarsfeldであった。彼は、のちに「実証的社会学の父」とも称されるようになる。

Lazarsfeldの生い立ちと渡米

 Lazarsfeldは、1901年、ウィーンでユダヤ人を両親として生まれた。父は法律家、母は精神分析家であった。彼は大学で数学と物理学を学び、アインシュタインの重力理論の数学的側面に関する博士論文を書いている。
Lazarsfeld
 その後、ウィーン大学の心理学研究所を創設したKahl Buhlerのもとで研究を続けた。そこで、社会心理学的な応用調査研究を提案している。1930年代はじめ、Lazarsfeldと2人の同僚(妻Marie JahodaとHans Zeisel)はオーストリアの小さな町で失業問題の政治的影響に関する研究を行った。研究の結果は、失業は政治的無関心を助長するという予想外のものだった。この研究の重要性を認めたBuhlerは、ハンブルグでの国際心理学会議で発表するよう勧めた。学会での発表は、たまたま出席していたロックフェラー財団のヨーロッパ代表の目にとまり、Lazarsfeldはアメリカでの1年間の在外研究の機会を得ることになった。1933年10月、Lazarsfeldはニューヨークに到着した。

Lyndとの出会いと縁結び

 渡米した直後、Lazarsfeldはコロンビア大学教授のRobert Lyndとコンタクトをとった。Lyndは妻とともに、有名なMiddletown(1929)という実証研究を出版していた。Lyndはその後、Lazarsfeldがアメリカに定住する上で、いわば縁結びの役割を果たすことになる。

 Lazarsfeldがアメリカに到着してからわずか数か月後、オーストリアでファシストによるクーデいてターが起こり、Lazarsfeldはアメリカに移住することを決意する。LyndはLazarsfeldのために、ニュージャージー州のUniversity of Newarkに就職口を見つけてくれたのである。また、Lyndの示唆により、ロックフェラー財団から研究助成を受けて、ラジオに関する大きな研究プロジェクトに代表として参加することになった。これは彼のキャリアにおいて画期的なものとなった。このプロジェクトでは、プリンストン大学のH.CantrilやF.Stanton (『火星からの侵入』調査でのちに知られるようになった)と協同研究を行っている。

 この研究プロジェクトが発展 的に解消し、数年後には、やはりLyndの仲介のおかげもあり、ニューヨークのコロンビア大学応用社会調査研究所(Bureau of Applied Social Research at Columbia)として結実したのであった。

実証的社会調査研究の推進

 Lazarsfeldが設立した応用社会調査研究所は、大学付属の社会調査研究機関の嚆矢をなすものであった。大学の付属機関でありながら助成資金は企業や政府から獲得するという斬新なスタイルのものであり、その後の同種機関のモデルとなった。  Lazarsfeldの貢献は、実証的社会学研究の方法論を築いたこと、世論調査、投票行動、市場調査研究を推進したこと、などにあった。彼はまた、数々の協同研究プロジェクトを通じて、錚々たる社会学者、コミュニケーション学者たちを輩出する、コラボレータの役割をも果たした。その中には、Theodor Adorno、Robert Merton、Elihu Katz、David Riesman、B.Berelsonなどがいた。

Lazarsfeldと実証的マス・コミュニケーション研究の発展

 1937年、Lazarsfeldは、2年間にわたる大規模な「ラジオ研究プロジェクト」を開始した。このプロジェクトには4つの主要なテーマがあった。
  1. ラジオと読書
  2. 音楽
  3. ニュース
  4. 政治 

 これらの研究において、主たる対象は、マス・オーディエンスであった。ラジオというニューメディアは、商品の販売促進にも利用されるし、受け手の知的水準を向上させるのにも役立つし、政府の政策に関する理解を深めるためにも利用され得る。いずれにしても、Lazarsfeldらの研究の目的は、いかにして送り手のメッセージが受け手に伝わり、効果を生み出すかという点に関する実証的知見を提供することにあった。プリンストン・ラジオ・プロジェクトによって1938年に行われた、『火星からの侵入』研究は、ラジオの受け手がどのように番組を受け止め、それにどのように反応したのか、というマスメディア効果論の嚆矢をなすものだったが、これはLazarsfeldの問題意識と合致するものでもあった。

ラジオと印刷物

 Lazarsfeld自身がラジオ研究所の研究成果として初めて執筆した出版物は、『ラジオと印刷物』(Radio and the Printed Page)という書物だった。これは、コミュニケーションメディアとしての印刷物とラジオの比較研究であると同時に、新しい研究方法論に関する最初の出版物でもあった。それは、当時革新的なコミュニケーション技術であったラジオの社会的影響について書かれた画期的な業績だったのである。とくに現在まで大きな影響力を放っているのは、「人々が、どのような条件のもとで、どのような充足を得るためにラジオや印刷物を利用しているのか?」という「利用と満足」研究のスタンスである。

 方法論的な特徴としては、大量のデータにもとづく定量的な調査研究と小規模でインテンシブな質的研究を組み合わせた点にある。具体的な研究方法としては、(1)番組の内容分析、(2)異なる受け手の分析、(3)充足研究の3つをあげることができる。

 この書物の中でもっとも有名な研究事例は、クイズ番組に関する受け手研究である。対象として選ばれたのは、当時もっとも成功していた『プロフェッサー・クイズ』という番組だった。この研究では、のちにLazarsfeldの二番目の妻となるHerta Herzogが重要な貢献をしている。彼らは、この研究を通じて、リスナーが引き出す多様な充足タイプを明らかにしたのであった。

参考文献:
Paddy Scannell, 2007, Media and Communication. Sage Pubication.

(つづく)

  
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バックミラー


 マクルーハンは、「われわれはまったく新しい状況に直面すると、つねに、もっとも近い過去の事物とか特色に執着しがちである。われわれはバックミラーを通して現代を見ている。われわれは未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」と述べている。これは、メディアの進化に関してどのような意味をもっているのだろうか?メディアの歴史をたどってみれば、その例はいくつでも見つけることができる。例えば、
電話は最初「話す電報」と呼ばれていた。自動車は「馬無し馬車」、ラジオは「無線機」という具合だ。どの場合においても、バックミラーの直接的な影響は、新たなメディアの最も重要かつ革命的な機能を部分的に不鮮明にするものだった。・・・マクルーハンは、旧いメディアは新しいメディアのコンテンツになり、そこで新しいメディアと誤解されるほど顕著にその姿を現わすことになることを指摘した。これはバックミラーの解釈の一つで、私たちの注目を前方から来て目の前を通しすぎたばかりのものへと向け直すものだ。・・・例えば、彼のグローバル・ヴィレッジという概念もまた、もちろんそれ自体がバックミラーだ。つまり、新しい電子メディアの世界を古い村の世界を参考にすることによって理解しようという試みだった。

 「ウェブは、新旧のいろいろなことを新しい方法で実証できる場であり、バックミラーの紛れもない宝庫だ」と著者はいう。例えば、インターネットでリアルオーディオを聴くとき、それをラジオと考えることもできる。インターネットで調査するとき、それは図書館を利用しているかのようだ。オンラインのチャットルームは、カフェと同じようなものだと感じる。

 しかし、バックミラーというメタファーは、しばしば新しいメディアと過去のメディアの相違点を目隠ししてしまう場合がある。例えば、キンドルのリーダーで本を読んでいるとき、それを落としてしまって、壊してしまったとすると、もはやそれは書籍ではなく、ただのジャンクと化してしまう。紙の本なら、ほんの少し汚れるだけで済むだろう。朝日新聞デジタルをiPadで読んでいるとき、それは紙の新聞のイメージとほとんど変わらないが、やはりメディアとしては別ものである。「紙面ビュー」という発想自体が、「バックミラー」の実現という意味を含んでいる。それは、電子化された「紙面」なのだ。だからといって、それを否定するわけではない。読み慣れた紙面をパソコンの画面やiPadで再現するというのは、旧メディアに慣れ親しんだユーザにとってはありがたいサービスだ。大切なことは、同じ「紙面」といっても、その機能、性質は新旧メディアの間で異なることを認識することだろう。そのメリットとデメリットをしっかりと把握しつつ、新旧メディアを適切に使い分けることが大事なのだ。
 どのようなメディアにも欠陥があり、その欠陥を補うように、あるいは克服するようにして、新しいメディアが発明され、普及してきた。これを著者は「治療メディア」の進化と呼んでいる。
 メディアの相対的な進化は、まず最初に視聴覚という生物学的な境界線を越えてコミュニケーションを拡張するメディアを発明することで想像力の切なる願いを満たし、次に、最初の拡張で失われた自然の世界の要素を再び取り戻すための試みであると考えることができる。こうした視点からみると、メディアの進化全体が治療だろ考えられる。そしてインターネットは、新聞、本、ラジオ、テレビなどを進化させたものなので、治療メディアの中の治療メディアだといえよう」(p.295)

 インターネットそれ自体、現在では、数多くのメディアの複合体となっており、その内部で「治療的」な進化を続けているといえるだろう。マクルーハンのことばでいえば、「内爆発」を起こしているのだ。その内部的な進化の過程は、他の旧メディアを巻き込みながら、次第に大きな「銀河系」を形成しつつあるといえるだろう。そのプロセスは、本書の最後で取り上げられている、「メディアの法則」によってある程度解明できるかもしれない。

メディアの法則


 マクルーハンが遺した最後のアイデアは、4つのメディアの法則(あるいは影響)だった。つまり、「拡充」(amplification)、「衰退」(obsolescence)、「回復」(retrieval)、「逆転」(reversal)という「テトラッド」である。
マクルーハンのテトラッドは、いずれのメディアに関しても、次の4つの質問をする。
(1)そのメディアは、社会や人間の生活のどの側面を促進したり拡充するのか。
(2)そのメディアの出現前に支持されていた(あるいは傑出していた)どの側面をかげらしたり衰退させたりするのか。
(3)そのメディアは何を衰退の影から回復させたり再び脚光を当てたりするのか。
(4)そのメディアは自然に消えたり可能性の限界まで開発されたりするときに、何に逆転したりひっくり返ったりするのか。

 具体的な例として、著者は、ラジオとテレビをあげて、こう説明している。
 ラジオは人間の声を瞬時に拡充して遠距離を超えて大勢の聴衆に届け、重大ニュースの第一報を新聞の「号外」ではなくラジオで聴いたりするように、マスメディアとしての印刷物を衰退させ、印刷物によってほとんど衰退していた町の触れ役を復活させ、聴覚的なラジオは限界に達した時に視聴覚に訴えるテレビへと逆転させる。
 テレビは視覚を拡充することによってラジオを衰退させ、印刷物の可視性がラジオによって衰退させられらたのとはまた違った方法で視覚を回復する。テレビの視覚の回復は新しい種類のもので、依然の視覚と現在の電子の特性をまったく異なるかたちで異種交配したものだ。それが限界まで表現されると、テレビ画面はパソコンの画面に逆転する。 

 それでは、インターネット時代のメディアは、どのようなものへと進化するのだろうか。その進化の方向性を決めるのは、人間のニーズであり、理性的な選択だと著者は考えているようだ。それは「治療メディア」のはたらきであり、それがマクルーハンのメディア決定論を逆転させる。
 インターネットと、それによって具体化され実現される現代のデジタル時代は、大きな治療メディアであり、それ以前に生まれたテレビ、本、新聞、教育、労働パターン、そしてほとんどすべてのメディアとその影響の欠点を逆転させたものなのだ。これらの救済の多くは、テレビの儚さを治療したビデオほどには、故意で意図的なものではなかった。しかしこれらが新しい千年紀において集中したことや、以前のメディアが持つ多種多様な問題を連携良く支援していることは決して偶然の一致なのではない。・・・デジタル・コミュニケーションによって強化された理性の働きの下では、すべてのメディアはいつでも手軽に治療できるようになる。(p.331)

 ある種、楽観的なメディア進化論のように見えるが、もちろん、危険な側面もあることは、著者も指摘する通りである。これ以上の内容については、本書を実際に手にとってお読みいただければと思う。

 なお、著者のPaul Levinson氏の経歴については、Wikipediaに詳しい。Connected Educationは、Wikipediaによると、1985年から1997年まで存続していたが、その後の経緯は明らかではない。若い頃は、ソングライターやレコードプロデュサーなどをしていたり、現在では大学教授などの傍らSF小説を書いたりと、多彩な活動を展開している方のようだ。 
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デジタル・マクルーハン
 気鋭のマクルーハン研究者である、ポール・レヴィンソンが1999年に出版した、『デジタル・マクルーハン』(NTT出版, 2000)。若干の私見と最新動向を交えながら、そのエッセンスを紹介しておきたい。現代のメディア論を理解する上で、いまでも基本的な文献だと思われる。

 レヴィンソン氏は、ニューヨーク大学で「メディア・エコロジー」を学び、博士号を取得している。したがって、メディア・エコロジーの視点から、マクルーハンを解説し、それをデジタル・メディアに応用したのが本書だといってもいいだろう。

  本書は15章から構成されているが、各章は、マクルーハンの唱えた有名なキャッチフレーズや法則について、わかりやすく解説するとともに、それをデジタル時代に読み替えたものとなっている。では、第3章以下、章ごとに内容を紹介していきたいと思う。

メディアはメッセージである


 いうまでもなく、これはマクルーハンの理論でもっとも有名なキャッチフレーズだ。レヴィンソンによれば、
その基本的な意味は、どのようなコミュニケーション・メディアであれ、そのメディアによって伝達されるコンテンツよりそれを利用する行為自体のほうがはるかに大きな影響力を持ち、例えばテレビを見るという行為はテレビ番組やその内容より重大な影響を私たちの生活に与え、電話で話すという行為はその会話の内容よりも人の暮らしに革命的な変化をもたらすということだ。

 これが一部の人々に「コンテンツ」を否定するものと受け取られてしまった。マクルーハンの意図は、われわれの意識をコンテンツからメディア自体に移そうとした点にあった。それは、「コンテンツにばかり気を取られていると、メディアとその周辺すべてのものに対する理解や認識が阻害されてしまうと考えていたからだ」。どのようなメディアも、そのコンテンツは、実は旧来のメディアなのだ、ともマクルーハンは言っている。
 いずれのメディアも他ならぬそれ以前に台頭していたメディアをコンテンツとし、その結果古くなったメディアは以前の粗野で目に見えない状態から飼い慣らされ、ようやく全体像を私たちの前に現わすようになる、ということなのだ。

 映画のコンテンツは小説であり、テレビのコンテンツは映画やラジオの連続ドラマやクイズなどである。それでは、ウェブのコンテンツとなるメディアは何なのだろうか?それは、「ひとつにとどまらず複数のメディアだ」というのが回答である。なぜなら、「ウェブはそのコンテンツとして、ラブレターから新聞までの書き言葉に加え、電話、ラジオ、テレビの一種とでも言うべき音声つきの動画まで取り入れているからだ」(p。76)。ひとことでいえば、ウェブは「マルチメディア」なのである。なかでも、「書き言葉」という共通要素があることを筆者は強調している。さらに、「ユーザーはインターネットのコンテンツだ」とも主張している。なぜなら、「インターネットのコンテンツとなるのは旧いメディアばかりではなく、利用するごとにオンライン上でコンテンツを創り出す人間のユーザーもそうなのであり、そこが他のマスメディアと違う点とも言えるだろう」(p。77)。実際、マクルーハン自身、テレビについて、「ユーザーはコンテンツである」と語っていたそうである。

 これだけでは、「ユーザーがコンテンツ」ということばの意味はわからない。レヴィンソンによれば、ユーザーをコンテンツとするマクルーハンの考え方から、少なくとも三段階の階層構造が浮かび上がってくるという。
(a)人間が眼前に現われるものすべてに対し、込み入った解釈をすることで、すべてのメディアのコンテンツとなる段階、
(b)知覚した人間が、ラジオやテレビなどの一方通行の電子メディアを「通じて」移動し、そこでそのメディアのコンテンツとなる段階、
(c)話し手である人間が電話などの旧いインタラクティブなメディアのすべてのコンテンツを、またインターネットの場合はほとんどのコンテンツを文字通り創造する段階(ッp。79-80)

 さらに、インターネットは、「人間の会話が介在していない時は、テレビの流儀に従って映像を、また印刷の流儀に従って映像を、また印刷の流儀に従って書き言葉を表現するものなので、前記の階層構造の全段階を包括し、人間がコンテンツを決定する過程において、それまでのすべてのコンテンツを完成させたものである」という。
 実際、最近のインターネットTVや、ネット上の電子書籍、電子新聞などは、まさに、旧来メディアをすべて包括した完成形という印象を受ける。

 それでは、インターネットで電子新聞を読む場合、コンテンツはその新聞なのか、ニュースの言葉なのか、その言葉で表現されたアイディアなのか、、、それともすべてがコンテンツなのだろうか?そのおおもとをたどると、最古のメディアである、「話し言葉」に行き着くだろう。いいかえると、「個々の新しいメディアは旧いメディアをコンテンツとして取り入れていて、そのために最古のメディアである話し言葉は、それ以降に誕生したほとんどすべてのメディアの中に存続しているということが分かってくる」。

 例えば、
・表音文字は話し言葉の音を視覚的に表記したものだ、
・印刷機は本や新聞、雑誌などにアルファベットを大量生産したものだ、
・電話、レコード、ラジオはいうまでもなく話し言葉を伝達する、
・サイレント映画は言葉を視覚的におおげさに表現したが、トーキーになって、文字通り話し始めた、
・その映画はテレビのコンテンツになった、
・そして、前記のすべては急速にメディアの中のメディアであるインターネットのコンテンツになりつつある。

 最近普及し始めた、「電子新聞」や「電子書籍」は、「メディアはメッセージである」ということばでどう捉えるべきだろうか?朝日新聞や日経新聞は、電子版で「紙面イメージ」を採用し始めたが、これは、インターネットの中に紙の新聞イメージを取り込んだものである。それは、ニュースサイトで読む新聞とは似て非なる体験をユーザーに呼び起こす。つまり、デジタル形式で、紙の新聞を読んでいるような、ある種のノスタルジー的な快感と効用を与えてくれるのだ。つまりは、旧いメディアのフォーマットがインターネットのデジタル情報空間上で再現し、再生したといってもよい。キンドルなどのeインクを使った電子書籍についても、同じような「既視感」を味わうことができる。紙のような肌触り、ページをめくっているような感覚でデジタル書籍を閲覧することができるからだ。これは、「新しい革袋に旧い酒を入れる」ような感覚である。旧いメディアが、デジタル技術によって、新しい棲み場所を得たような気がするのだ。これもまた、「メディアはメッセージだ」という言葉にぴったりと当てはまる現象とはいえないだろうか?

聴覚的空間


 マクルーハンは、「聴覚的空間」を強調した。なぜなら、歴史的にみれば、聴覚こそは、視覚に先立って誕生した<始原のメディアだからである。
マクルーハンの「聴覚的空間」という概念は、視覚的空間とアルファベットとの関係に関する彼の立場を非常に明快にする。つまり、聴覚的空間はアルファベト以前に出現したものだということだ。それは文字の出現以前の視点で見た世界であり、境界がなく、情報が固定された場所からではなく、あらゆる場所から生み出される世界だ。それは音楽や神話、全身が包み込まれる世界であり、したがってマクルーハンの考えによると、主にテレビというものはやはり音楽的かつ神話的で、包み込む形態でアルファベットより後に私たちの前に現われ、本や新聞とは異なり、視点や対象物との距離感を持たない世界だ。(p.90)

 それでは、インターネットのサイバースペースは、どのような世界なのだろうか?この点について、著者は、サイバースペースはまさしく聴覚的空間だという。アルファベット以前の世界において、「私たちは世界を探索するとき、視覚と聴覚を用い、関わりを持つ時は触覚と味覚を用いる。視覚は私たちが目を向けているものの詳細を正確かつ詳細に伝えてくれるが、聴覚は私たちが世界に耳を傾けようとするかしないかに拘わらず、一日24時間、絶えず私たちと世界の接点を用意している」。深い眠りから目をさまさせてくれるのも、聴覚のおかげである。アルファベットが進化したのも、聴覚のおかげである。印刷の発明後も、出版といえども、声が多くの人の耳に届くことはできなかった。その点では、テレビのもつ聴覚的性質は、「一国のいずれの場所においても、またCNNなどが出現して以来、世界のいずれの場所でも、同じ映像がテレビ画面上で見られるという点にある」。ラジオも同じだ。そして、「アルファベットはインターネットの画面に表示されることで、同じ言葉を、世界的なケーブルテレビの画面よりはるかに容易かつ効率的に世界中に送ることができ、印刷よりはるかに身近で直接的に遠方まで広がりを持つ聴覚的空間のコンテンツになると同時にその媒介にもなったのだ」(p.94)。インターネット上の聴覚的空間は、テレビやラジオよりも拡大したものとなっている。すなわち、その非同期性、非場所性などをもっているからである。また、インタラクティブ性など。「オンラインのアルファベットのコミュニケーションの容易でインタラクティブな性質は、直接に音を聴くことが始まって以来、電話以外ではどのメディアにも欠けていた聴覚的性質の根本的な原動力を回復し増強する」。

 ここで、著者は、やや唐突ともいえるが、独自の「メディア進化論」を提示している。
 私は「人間の再生-メディア進化論」を皮切りに過去20年間にわたって、コミュニケーションの未来を予言するという困難な仕事のためにメディアの一般n理論を構築してきた。その理論の核心は、メディアはダーウィンの説のように進化し、そこで人間はメディアの発明者であると同時に選択者でもあるということだ。そしてその選択の基準は、(a)私たちは、単なる生物学的な視覚や聴覚の境界を越えてコミュニケーションを拡張するようなメディアを求める、(b)初期の人工的な拡張の過程で失ったかもしれない、生物学的なコミュニケーションの要素を再び取り戻すようなメディアを求めるというものだ。つまり、私たちは自然のコミュニケーションという炉床を求めつつも、私たちを拡張することでそれを凌駕するメディアを求めていく、という二つの点だ。

 例えば、電話は、私たちの進化の過程で、一旦は失われた音声という要素を回復する双方向のコつりょミュニケーション・システムの強い進化的な圧力によって、電報に取って代わった。白黒映画からカラー映画での進化、白黒テレビからカラーテレビへの進化も同じ。また、最近のハイビジョン・テレビも、よりリアリティの高い映像や音声への進化を示している。

グローバル・ヴィレッジ


 このキャッチフレーズは、「メディアはメッセージである」と同じくらい人口に膾炙されたことばだが、こちらは誤解されることもなく、広く受け入れられた。電子メディアの登場によって、世界は小さな村のようになったということだ。
かつて、小さな村の住人は触れ役の声が全員に行き届くことで、公的な情報にほぼ同じ程度に接触していた。その情報の届く範囲を拡大したのは印刷だった。それは最初の大量の読者、つまり目と耳の届く範囲を超えた反応の速い大衆を初めて創出したが、その結果として本来の聴覚的な村人の同時性が失われてしまった。誰もが同じ朝刊、同じ夕刊を購読しているわけではなく、また同じ新聞を購読しているにしても、同じ瞬間に同じ記事を読んでいることなど考えられないからだ。それからラジオが、そしてテレビが出現し、国中の誰もが居間に腰を下ろして、同時にニュースを読むアナウンサーの声を聴き、同じ顔を見ることが可能になった。80年代にCNをはじめとするグローバルなケーブルテレビの出現によって、村はグローバルとまでは言わないまでも、全国的に再構成され、放送メディアがグローバル・ヴィレッジを実感させるものになっていった。(p.121)

 しかし、テレビによって実現したグローバル・ヴィレッジは不完全なメタファーだった。というのは、人々はテレビを通じて双方向のコミュニケーションをすることができなかったからだ。その意味では、インターネットこそが、グローバル・ヴィレッジの正しいメタファーとなりつつあるといえよう。

 ラジオからテレビへの変化は、「地球村」の性格を大きく変化させた。著者によると、それは「子供の村」から「のぞき見趣味の村」への変化である。家族内で、子供は重要な問題には両親の意見に逆らうような意見を口にすることは一切許されない。同じように、ラジオという一方通行の音声メディアでは、聴取者はラジオから流れる時の支配者のことばに反論を言うことを許されていなかった。それゆえに、「ラジオ時代は20世紀でもっとも影響力の強い、スターリン、ヒットラー、チャーチル、フランクリン・ルーズヴェルトという4人の政治家を生み出した」(p。123)。日本でいえば、戦時中の政治家や軍部をあげることができるだろう。「聴取者は年齢に関係なく、ラジオという父親の子供になった」のである。ちなみに、マクルーハンは、「テレビがラジオよりも先に登場していたら、そもそもヒットラーなぞは存在しなかったろう」と述べている。

   著者によれば、「グローバル・ヴィレッジは、テレビを介することにより聴取者の村から視聴者の村へ、つまり子供からのぞき見趣味の大人へと成長した」という。例えば、1960年当時、ジョン・F・ケネディはその発言よりも、ハンサムなルックスで賞賛を集めていた。それは映画スターとファンのような関係である。また、ケネディの悲劇的な死も、「父親を亡くした子供の心境というより、ティーン・エージャーの子供の自動車事故死による衝撃に近いものだった」という。のぞき見趣味の人たちは、その対象を愛しも恨みもする。その結果、テレビ時代の政治家達は愛憎両方の対象になった。歴代の大統領や日本の最近の首相が頻繁に交代するのも、テレビを通じて視聴者による愛憎の対象とされるからなのかもしれない。

 それでは、オンライン時代のグローバル・ヴィレッジはどのようなものになるのだろうか?

 実際のところ、政治の世界において、「オンラインのコミュニケーションは、アテネの地方民主政治、もしくは少なくとも国の立場から言えば、直接民主政治を行なう年を地球規模で実現するための道を開き始めている。インターネットは既に、数多くの議論の場と機会を提供している。また、意思統一の実現や評価のためのソフトエアも、投票をし集計するためのソフトウェアも、容易に入手できるようになった」。問題は、私たちがそれを使用したいと思うか、ということだ。

 かつて、ウォルター・リップマンは、「国や社会の出来事はあまりにも大きく複雑で、その影響がわかりにくく、個々の市民の理解の範囲を超えているので、間接的な代議制政府が必要だ、と述べ、直接民主主義を全面的に否定した。しかし、インターネットによって、状況は大きく変化した。
 今やインターネットでは何百万人もの人々が積極的に話し合い、個々の市民はリップマンの言う「後ろの座席にいる耳の聞こえない観客」ではなく、1927年当時の議員よりずっと簡単にほとんどの事柄に関する情報にアクセスできるようになった。(中略)リップマンは現代でも、オンラインのグローバル・ヴィレッジは原則的に情報の配布をするだけで、誰もが立法府の議員になれるわけではない、と言うかもしれない。しかしグローバル・ヴィレッジはそれにとどまらず、議論、ディベート、世論の確立、投票の手段でもあり、本来統治の手段なのだ」(p.130)

 今日のデジタル世界は膨大な情報で溢れかえっている。その中から、どうやって適切な情報、データを引き出せるのか?この点については、検索エンジンが大きな威力を発揮してくれるだろう。そのことは、「確かに、オンライン上での情報入手、論議、投票が可能になった直接民主制の政府がきちんと機能する、あるいは現行の代議制より優れた機能を発揮することを何一つとして保障するものではない。」現代社会は、古代アテネよりはるかに複雑で多くの問題に対処しなければならず、それを統治するには、それなりの能力が必要とされることもたしかだ。したがって、「直接民主制はおそらく、政府の一部の側面でのみその機能を十分に発揮できるのだろう」と著者は述べている。

 しかし、現実には2008年のアメリカ大統領選挙では、オバマ候補がインターネットを駆使して、大統領選を勝ち抜くなど、インターネットあるいはソーシャルメディアが草の根の有権者パワーを動員して、政治を大きく変えるなど、ある種の直接民主制が実現しつつある。日本でも、今年の参議院選挙までに、公職選挙法が改正され、インターネットを通じて、国民の意思がより直接的に国政選挙に生かされる道が見えてきたのは、周知の通りである。著者は、「現在の代表民主制の実績とそれに対する人々の満足度が、過去数百年の何らかの目安となるのであれば、インタラクティブなオンライン・グローバル・ヴィレッジで直接民主制が成功する見込みを少し試してみるのもいいかもしれない」と控えめに提案しているが、2010年代の政治は、少なくともアメリカでは、それを着実に実現しているように思われるが、どうだろうか?

 オンライン・グローバル・ヴィレッジの進展は、政治だけではなく、ビジネスの世界で、それ以上に進展していることは、周知のとおりである。これについての紹介は、割愛させていただく。

ホットとクール


 レヴィンソンによれば、マクルーハンのホットとクールの区別は、新たなメディアの影響を理解するために彼が使った道具の中で、もっとも有名で誤解を受けながらも有益なものだった、という。マクルーハンのホットとクールは、もともと、ジャズの世界のスラングを引用したもので、大音響のビッグバンドの魂を揺り動かし酔わせる「ホット」な音楽と、もっと小さなバンドの心を惑わせ誘い込む「クール」な演奏を比較する言葉だったという(p.183)。マクルーハンの考えによると、「ホットメディアは、飽和しやすい私たちの感覚に近づいて襲いかかる、声高で明るく目立つ情報の発信方法であり、逆にkウール・メディアは、曖昧でソフトで目立たない、静かな夕べにぴったりの、私たちの関与を誘うメディア」である。例えば、「大スクリーンで色鮮やかなホットな映画と小さな画面で見るクールな白黒テレビ、小説や新聞に印刷されたホットな散文とクールな詩や落書き、など。

 ただし、小さなブラウン管をもつ白黒テレビが「クール」というのは分かるが、現代のように、40インチ以上の高精細度ハイビジョンの時代に、テレビが依然として「クール」だというのは、やや感覚的にずれているように思われる。もっとも、「クール」と「ホット」は、二分法的に捉えるべきではなく、「温度」と同じように、程度の差をもった、連続的な尺度と考えたほうがよさそうである。現代のテレビは、かつてのちっぽけなアナログ白黒テレビに比べると、はるかにホットなメディアになっているのではないだろうか?

 問題は、インターネット時代の「電子化されたテクスト」の性格である。レヴィンソンによれば「電子化されたテクストは必然的にテレビを遙かにしのぐほどクールになり、またその出現は最近のラップ・ミュージックやクエンティン・タランティーノの映画のような、クールなものの成功と時を同じくしている」という。

 レヴィンソンによれば、ホットとクールは、文化全般に影響を及ぼし、その文化が今度は適当な温度のメディアを選択することになるという。実際、テレビが登場して以降、文化もまたクールなものになり、その中で、コンピュータやインターネットのような「クール」なメディアが出現したのである。

 電話は、音質が比較的悪いため、人間の声のほんのうわべだけしか伝達できず、最初から本質的にクールなメディアだった。また、本質的にインタラクティブな性格をもっており、ベルが鳴るとそれを無視することが非常に難しい。「そうしたインタラクティブな牽引力、つまり電線の向こうにいる生きた人間の引力がとても強いために、電話は音声の強さや明瞭さとは関係なくクールなメディアだった」という。

 インターネットは、まさしくテレビ以上にクールなメディアだ。「パソコンは全世界に広がる電話システムに接続すると同時に、テレビと本に変身する。そして特殊な電話となり、強力でクールなインタラクティブな性質を持ち続けるばかりかそれは強まる。それを生み出したのは実際には、電話、テレビだけではなく、本を加えた三つのメディアだ。そして最初の二つがクール・メディアなのだから、オンライン・テキストがクールになるのは至極当然のことなのだ」(p.196)。

 最近の例でいえば、電子メールやチャット、ソーシャルメディアなどは、ユーザーの関与度が高く、いかにもクールなメディアと呼ぶのにふさわしいように思われる。また、レヴィンソンによれば、彼自身が実践しているオンライン教育も、きわめてクールなメディアであり、学生の参加度を高めるという意味で、すぐれた教育システムだと考えているようだ。

 つづきは、こちら
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 1982年にサービスを開始し、フランス版WWWとも呼ばれた「ミニテル」(minitel)のサービスが、ちょうど30年後の2012年6月30に終了した。最盛期には、900万のミニテル端末が家庭におかれ、2500万人ものフランス人が利用し、26000ものサービスが提供されていた。提供されていたサービスとしては、電子電話帳、天気予報、チケットの予約、オンラインバンキング、ショッピング、ポルノサイト、メール、チャットなどがあり、WWW開始よりはるか以前に、フランス人は世界でもっとも先進的なネットサービスを享受していたのである。

minitel

 しかし、1990年代に入り、インターネット上でWWW(ウェブ)のサービスが提供されるようになるとともに、ミニテルはこれに対する競争力をもつことができず、1990年代半ばを頂点として、徐々に衰退していったのである。フランスでは、ミニテルの成功によって、インターネットの普及が遅れることになったとも言われている。

 日本やイギリス、ドイツなどでも、ビデオテックスと呼ばれる同種のテレコムメディアが実験的に導入されたが、いずれの国でも失敗に終わったが、フランスだけは例外で、その使いやすさとコンテンツの魅力、端末の無料配布などによって、一時期は大成功を収めたのであった。ミニテルでもっとも人気のあったコンテンツは、「ミニテル・ローズ」(minitel rose)と呼ばれるチャットサービスだった。これは、コールセンターで性的会話のお相手をしてくれる匿名の女性と有料でおしゃべりを楽しむことができるサービスだった。なかには、これにはまって月に何千フランも使うユーザーもいたということである。

 しかし、それもインターネット上で同様のアダルトサイトが提供されるようになってからは、人気が翳ることになった。インターネットを中心とするメディア生態系が繁栄する中で、ミニテルはついに生き延びることができなかったのである。

1982年のミニテル

・ミニテルの終焉:




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ファックスの歴史


 ファックスというメディアの歴史は、電話よりも長いといわれる。FAXの基本原理を発明したのは1843年、アレクサンダー・ベインというスコットランド人の時計技師だったという。しかし、その原理は長く実用化されるには至らなかった。1907年、フランスのエドゥアール・ベランが写真電送装置を開発。1925年、米国ベル研究所でベル式写真電信機を発表し、翌年には写真電送を業務として開始している。日本では、丹羽保次郎氏が1924年に欧米を視察し、帰国後は写真電送の研究に取り組み、小林正次氏と共にNE式写真電送装置を開発したという。1928年、昭和天皇の即位式の際に、新聞写真の伝送用に使われ、ファックスはその威力を発揮した。(以上、「Faxの歴史」ウェブサイトより)。

 ファックスが本格的に使われるようになったのは、1970年代に入ってからのこと。1980年代に入ると、ファックスを業務用に導入する企業が増え、ファックスの普及が進んだ。一般家庭用のファックスが普及し始めたのは、1990年前後だという。

ファックス世帯普及率の推移


 一般家庭用ファックスの世帯普及率推移をみると、下のようになっている(内閣府『消費動向調査』より)。比較のために、パソコンの世帯普及率もあわせて表示する。
 
パソコン、ファックス普及率

 『消費動向調査』のデータは、ファックスの場合、1992年以降なので、それ以前のデータがないが、1992年の時点では、まだ5.5%しかなかった。パソコン普及率のデータは1987年から利用可能であり、1987年の時点で、すでに11.7%と1割をこえている。家庭への普及という点からみると、ファックスよりもパソコンの方が先行していたことがわかる。1992年以降の推移をみると、1999年までは、パソコンとファックスはほぼ並行的に普及を進めていたが、2000年以降は、インターネットの発展やパソコンjの低価格化とも相まって、パソコンが急速に一般家庭に普及し、ファックスを圧倒してきたことがわかる。

 最新の2012年時点でみると、パソコン普及率が77.3%、ファックスの普及率が58.6%となっており、ファックスの普及はほぼ頭打ち状態が続いている。パソコンの普及推移が、ほぼS字型曲線を描いているのに対し、ファックスは「く」の字型で、将来的には減少を続けるのではないかと予想される。

 実際、総務省の「通信利用動向調査」のデータで、ファックスの世帯普及率の動向をみると、下の図のように、2010年に入って、ファックス保有率は激減していることがわかる。パソコンについても、ここ2年ほどは、やや減少する傾向がみられ、普及が頭打ちになっているように見える。

パソコン、ファックス普及率 通信利用動向調査



ファックスは衰退していくのか


 このまま、ファックスはメディアとして衰退の一途をたどるのだろうか?その答えは、「Yes」だろう。家庭での保有率は50%前後ということだが、実際の利用率はもっと少ないのではないだろうか。最近では、文書や写真・その他の画像を送信するメディアとして、インターネットを使う人が大幅に増えているからだ。写真入り文書も、pdf形式にすれば、ファックスよりもはるかに高い精細度で送信することができるし、送られた文書類を長期保存するのも楽にできるからだ。  
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  1年あまり前、マクルーハンのメディア論について、メモ的な書き込みをしたことがあるが、その文章の最後に、「
ドーキンスは、『利己的な遺伝子』の中で、遺伝子情報の生存戦略について詳細に論じたが、この考え方から、「情報のメディア戦略」といった考え方を引き出すことができるのではないかと思う。それについては、別途論じることにする」と書いたままになっていた。ちょうど、マクルーハンの『メディア論』『グーテンベルクの銀河系』を再読する機会があったので、これについて、若干の考察を加えておきたいと思う。
情報の3類型ミニ

 その場合、情報を新たに、上の図のようなものとして再類型化してみたい。

 吉田民人氏が正しく指摘されているように、最広義の情報とは、「物質・エネルギーの時間的・空間的および質的・量的パターン」と定義することができる。このような意味での情報は、宇宙の始原から存在していたと考えることができる。情報が「進化」するものと考えるならば、情報の進化は、宇宙のどこか(地球を含む)で「生命」が誕生したことによってなされたものと想像することができる。地球でいえば、DNAという、記号機能をもつ情報が誕生したことが、情報の進化をもたらしたといえるだろう。これによって、生命に関わる情報を無制限に複製することが可能になり、単一の生命が終わったあとも、子孫にDNA情報が伝えられ、生命情報の長期にわたる「生存」がはかられることになった(生命情報の誕生)。

 しかしながら、生命情報は、子孫に伝えられるにとどまり、子孫が絶えれば、情報の生存も絶えてしまう。それを補うために、生命情報は、「(外部)メディア」を発明し、この外部メディアを通して、個体が不可能であった、時間的、空間的な制約を突破することが可能になった。つまり、文字、活字印刷、ラジオ、テレビといった「外部メディア」に貯えられた情報は、「メディア情報」として新たな進化を遂げることになったのである。マクルーハンが述べたように、メディア(情報)は、「人間の拡張」であり、正確にはその一部分ということになる。

 こうして、情報は二段階で進化を遂げることによって、上の図に示すような三層構造をもったものとなった。この図で、「メディア情報」が、「物質情報」と「生命情報」の間に位置していることに注意していただきたい。「メディア」という言葉の起源は、「中間にあるもの」(medium)という語義にあり、この図は、そのことを直接反映している。

 あるいは、情報の進化を、下のような4類型で捉えることも可能かもしれない。とりあえずは、「社会情報」のことは考えないことにする。

情報の4類型

 ここからは、ドーキンス博士の「遺伝子進化論」「ミーム進化論」とほぼ同じ論旨になるので、あまり新鮮味はないかもしれない。「遺伝子」を「生命情報」と読み替えただけであり、その乗り物を「メディア」に限定しただけである。ただし、この考え方を「メディア構築主義的アプローチ」と呼ぶことによって、なにがしかの新しい知見が得られれば幸いである。「メディア構築主義アプローチ」ということばは、私の造語ではない。最近読んだ論文(このブログでも紹介した)に出てきたもので、これは使えるのではないか、と今は思っている。

 レヴィンソン『デジタル・マクルーハン』によれば、ニューメディアなかでもインターネットの拡張的な性格を考えれば、マクルーハンのメディア論は、今日さらに適切なものだとしている。また、社会構築主義は社会的ニーズと技術的可能性との間のギブアンドテイクの関係を重視するものである。Wilzig and Avigdor (2004)は、この2つのアプローチを総合したものとして、「新旧メディアの間の絶えざる相互作用が進化の成功と失敗、とくにニューメディアの方向付けにおいて重要なものになる」として、これを「メディア構築主義」と呼んでいる。

 レジス・ドブレの「メディオロジー」も、生態学的なアナロジーにもとづくメディア構築主義の一つに数えられるかもしれない。「自然においてと同様、文化においても、生態系は互いに入り組んでいく。各メディア圏はそれ自身、先行するメディア圏が接合したものであり、生きている部分と生き残った部分とを含めて、それらは互いに絡み合っている。そのため体系は不安定で、しかも次第に複合化していく。継起するメディアの各世代が、波乱含みの共存関係の中で、互いに重なり合ったり堆積したりするにつれてである。メディア圏は、互いに他を追いやりながら継起しているのではない。とはいえ、それぞれに固有の統一性、いわば人格が備わっている。」(レジス・ドブレ『一般メディオロジー講義』,p.322)。

 ドブレによれば、「メディア圏」とは、伝達作用(と輸送)の大体系のことをいう。歴史的時代区分として、「言語圏」(表記技術から始まる)、「文字圏」(1450年代~:印刷術から始まる)、「映像圏」(1840年代~:オーディオビジュアル技術から始まる)の3つがあげられている。21世紀の今日では、この3つの加えて、「インターネット圏」(1990年代~:マルチメディアから始まる)をあげることができるのではないだろうか。

 外部メディアを媒介として登場した「メディア情報」は、こうした歴史上の「情報革命」のたびごとに、大きく進化し、爆発的な広がりと奥行きをもったものとなっている。今日的には、「インターネット圏」と「マスメディア圏」の相互作用と共進化がメディア学において最大の研究対象の一つとなっていると考えることができる。同時に、現代人が「メディア情報」から受ける恩恵とともに、「メディア情報」に支配され、利用され、あるいは振り回されるといったネガティブな作用にも注目し続ける必要がある。そのためには、エコロジー的な視点から「情報のメディア戦略」についての考察を深めることが求められているといえよう。
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 インターネットは、従来のマスメディアから大きく進化したメディアといえる。では、一般に、メディアはどのようなプロセスを経て進化するのか?この点に関する論文を紹介しておきたい。「自然史モデル」だ。メディア間の生存競争をモデルとした、「メディア・エコロジー」的な視座がみられる。「イノベーションの普及過程」理論も下敷きにしているようだ。

Lehman Wilzig & Cohen Avigdor 2004 The Natural Life Cycle Of New Media Evolution from Ana ADI

読みやすいpdf版はこちら:

http://portal.tapor.ca/my-texts/148.text


ニューメディアの進化に関するライフサイクルモデルは、とても参考になる:


 life-cycle model of new media evolution
 ニューメディアの進化に関するライフサイクルモデル(Wilzig & Avigdor, 2004, p.712より)
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 以前のブログでも紹介したように、梅棹忠夫氏は、汎情報論とも呼べるほど、情報を広く定義した。

  情報はそれ自体で存在する。存在それ自体が情報である。それを情報としてうけとめるかどうかは、うけ手の問題である。うけ手の情報受信能力の問題である。(中略) もっともひろい意味に解すれば、人間の感覚諸器官がとらえたものは、すべて情報である。

最近読んだ、脳科学者・茂木健一郎氏のエッセイ「デジタルの海の中で私秘性を取り戻すこと」 『環』vol.2005, pp.128-133. でも、これによく似た「汎情報」論が展開されている。
 概念としての情報は、現代人の世界観の中枢を占めるに至った。世界とは情報のことであると断言することに、違和感を抱く人がどれくらいあるか。単に、言語化された領域だけが情報であるわけではない。世界の事物の全てを情報の運動としてシミュレーションする「セル・オートマトン」として見れば、世界とはすなわち情報のことであって、その外側にはない。私たち自身もまた、情報の塊として世界の中で生まれ、情報として死んでいく。

 記号論においても、ロラン・バルトなどは、「汎記号論」とも呼べるとらえ方をしている。
  衣服、自動車、出来合いの料理、身振り、映画、音楽、広告の映像、家具、新聞の見出し、これらは見たところきわめて雑多な対象である。
 そこに何か共通するものがあるだろうか?だが少なくとも、つぎの点は共通である。すなわち、いずれも記号であるということ。これらの対象に出会うと、私はそのどれに対しても、なんなら自分でも気がつかないうちに、ある一つの同じ活動をおこなう。それは、ある種の読みという活動である。現代の人間、都市の人間は、読むことで時間を過ごしているのだ。彼はまず、とりわけ映像を、身ぶりを、行動を読む。この車は、その所有者の社会的地位を私に告げ、この服は、それを着ている人がどの程度常識的か型破りかを正確に私に告げる。それが書かれたテクストであっても、われわれは、第一のメッセージの行間から、たえず第二のメッセージを読み取ることになる。
 世界は記号に満ちているが、それらの記号が、すべてアルファベット文字や道路標識や軍隊の制服のように、すばらしく単純明快であるわけではない。われわれは、たいていの場合、それらの記号を<自然な>情報として受け取る。(ロラン・バルト『記号学の冒険』pp.48-50)

 ジェスパー・ホフマイヤーの『生命記号論』も、「汎記号論」の一つである。
 記号圏とは、大気圏、水圏、生物圏と同様に地球上にある領域を指す。記号圏は他のどの圏内にも入り込み、その隅々まで広がっており、音、匂い、身振り、色、形、電界、熱放射、全ての波動、化学信号、接触その他のありとあらゆる種類のコミュニケーションを統合して出来上がった一大圏である。一言で言えば、生命に関わる記号全てのことである。この地球上の生命は全てこの記号圏に産み落とされる。それにまともに適応することがそこで生き抜くための必要条件となる。生物が感知することは全て、その生物にとって意味を持つ。その意味とは、食物、逃避、生殖であったり、それへの失望であったりする。

 「汎メディア論」の雄といえば、言わずと知れたマクルーハンである。かれによれば、人間の拡張物はすべてメディアとして捉えられる。
  われわれの文化は統制の手段としてあらゆるものを分割し、区分することに長らく慣らされている。だから、操作上および実用上の事実として「メディアはメッセージである」などと言われるのは、ときにちょっとしたショックになる。このことは、ただ、こう言っているにすぎない。いかなるメディア(すなわち、われわれ自身の拡張したもののこと)の場合でも、それが個人および社会に及ぼす結果というものは、われわれ自身の個々の拡張(つまり、新しい技術のこと)によってわれわれの世界に導入される新しい(感覚)尺度に起因する、ということだ。

 「汎メディア論」かどうか、評価は分かれるかもしれないが、ニクラス・ルーマンの「メディア論」も、一種の「汎メディア論」として位置づけることができるかもしれない。ルーマンによれば、社会システムは、コミュニケーションの連鎖によって成り立っており、コミュニケーションにおける複雑性を縮減するメカニズムとしてメディアを定義づけている。この場合、メディアは「伝播メディア」と「成果メディア」に二分される。「伝播メディア」は、「言語」「文字」「出版」「電子メディア」という、いわゆる伝統的なメディアからなっている。これに対し、「成果メディア」には「貨幣」「権力」「真理」「愛」などが属しており、それぞれが「経済システム」「法・政治システム」「学問システム」「親密関係のシステム」など、「機能分化システム」の固有メディアを構成している。このように、ルーマンのメディア概念は、社会システムにおいてコミュニケーションを創出する重要な媒体として位置づけられているようだ。「成果メディア」は、伝播メディアによってコミュニケーションが伝達される際に、受け手に対してその意味が誤解されることなく明確に伝わる、すなわち複雑性が縮減するような働きをするという「コンテクスト」的な役割をになっていると解釈できるのではないか、と思われる。

 このようにみると、汎情報論も汎記号論も汎メディア論も、概念的には相互に重複する面があり、これらを総合することによって、「情報・記号・メディア」の一般理論を構築することも可能ではないかと思われる。それについての考察は、関連文献を少しずつ読み進めながら検討していきたいと思う。

参考文献:

大黒岳彦(2006)『<メディア>の哲学-ルーマン社会システム論の射程と限界』NTT出版
西垣通(2004)『基礎情報学』NTT出版


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 今回は、マクルーハンの『メディア論』を読みながら、メディアの進化について考えてみたいと思う。この本が出版されたのは、1964年である。ちょうど、テレビが黄金時代を迎えた時期である。しかし、まだパソコンやインターネットが登場する以前である。それにもかかわらず、本書はいきなり、次のようなメッセージで始まっている。
 西欧世界は、3000年にわたり、機械化し細分化する科学技術を用いて「外爆発」(explosion)を続けてきたが、それを終えたいま、「内爆発」(implosion)を起こしている。機械の時代に、われわれはその身体を空間に拡張していた。現在、一世紀以上にわたる電気技術を経たあと、われわれはその中枢神経組織自体を地球規模で拡張してしまっていて、わが地球にかんするかぎり、空間も時間もなくなってしまった。急速に、われわれは人間拡張の最終相に近づく。それは人間意識の技術的なシミュレーションであって、そうなると、認識という創造的なプロセスも集合的、集団的に人間社会全体に拡張される。さまざまのメディアによって、ほぼ、われわれの感覚と神経とをすでに拡張してしまっているとおりである。

 ここで、「内爆発」とは「地球が電気のために縮小して、もはや村以外のなにものでもなくなってしまった」という事実をさしている。また、「電気」とは、通信やテレビのことをさしているように思われる。現代なら、さしずめインターネットや衛星放送などを思い浮かべるところだろう。

第1章 メディアはメッセージである


 マクルーハンは、メディアを「人間の拡張」と定義している。第1章は、次のような有名なメッセージから始まる。
 われわれの文化は統制の手段としてあらゆるものを分割し、区分することに長らく慣らされている。だから、操作上および実用上の事実として「メディアはメッセージでる」などと言われるのは、ときにちょっとしたショックになる。このことは、ただ、こう言っているにすぎない。いかなるメディア(すなわち、われわれ自身の拡張したもののこと)の場合でも、それが個人および社会に及ぼす結果というものは、われわれ自身の個々の拡張(つまり、新しい技術のこと)によってわれわれの世界に導入される新しい(感覚)尺度に起因する、ということだ。

 これは、明らかに「技術決定論」的な考え方だ。続くいくつかのパラグラフは、「メディアはメッセージである」ということを、言い換えたものだ。
 電気の光というのは純粋なインフォメーションである。それがなにか宣伝文句や名前を描き出すのに使われないかぎり、いわば、メッセージをもたないメディアである。この事実はすべてのメディアの特徴であるけれども、その意味するところは、どんなメディアでもその「内容」はつねに別のメディアである、ということだ。書きことばの内容は話しことばであり、印刷されたことばの内容は書かれたことばであり、印刷は通信の内容である。
 これを言い換えると、古いメディアが新しいメディアにとっては「メッセージ」になっている、ということだろうか。現代のインターネットに置き換えて考えると、インターネットのメッセージ内容は、既存メディアであるテレビや新聞(メディア)だということになろうか。つまりは、オールドメディアのメッセージは、新しい技術革新の結果、ニューメディアに取り込まれる、というメディア=メッセージ間の共進化が起こっているということだろうか。
 映画の「内容」は小説や芝居や歌劇である。映画という形式の効果はプログラムの「内容」と関係がない。書記あるいは印刷の「内容」は談話であるが、読者は書記についても談話についてもほとんど完全に無自覚である。
 ここでは、メディアはそれが伝えるメッセージとは関係なく、メディアの形式そのものが多大な心理的・社会的インパクトを与える、といっているようにも思われる。つまりは、メディアそれ自体の特性を考慮することが、その影響力を考察する上で重要なのだ、という意味にも解される。そのように理解すれば、次の章もわかりやすくなるのかもしれない。

第2章 熱いメディアと冷たいメディア


 ラジオのような「熱い」(hot)メディアと電話のような「冷たい」(cool)メディア、映画のような熱いメディアとテレビのような冷たいメディア、これを区別する基本原理がある。熱いメディアとは単一の感覚を「高精細度」(high definition)で拡張するメディアのことである。「高精細度」とはデータを十分に満たされた状態のことだ。写真は視覚的に「高精細度」である。漫画が「低精細度」なのは、視覚情報があまり与えられていないからだ。電話が冷たいメディア、すなわり「低精細度」のメディアの一つであるのは、耳に与えられる情報量が乏しいからだ。さらに、話されることばが「低精細度」の冷たいメディアであるのは、与えられる情報量が少なく、聞き手がたくさん補わなければならないからだ。一方、熱いメディアは受容者による参与性が低く、冷たいメディアは参与性あるいは補完性が高い。だからこそ、当然のことであるが、ラジオはたとえば電話のような冷たいメディアと違った効果を利用者に与える。

 マクルーハンは、テレビがクールメディアつまり「低精細度」のメディアだとしているが、現代のハイビジョンなどはどうなのだろうか?高精細度でデータを十分に満たされたメディアになっているのではないだろうか?また、スマートフォンやスカイプなどはどうだろうか?これもまた、ありとあらゆるデータを詰め込んでおり、ホットで「高精細度」のメディアになっているのではないか?だからといって、ユーザーの心理や社会に巨大なインパクトを与えているといえるだろうか?現代は、まさにマルチメディアの時代になっており、もはやマクルーハンのいう「熱いメディア」「冷たいメディア」の単純な二分法は意味をなさなくなっているのではないだろうか。

 技術決定論的なメディア論は、第6章にもあらわれている。

第6章 転換子としてのメディア


 この電気の時代にいたって、われわれ人間は、ますます情報の形式に移し変えられ、技術による意識の拡張をめざしている。 (中略)
 われわれは、拡張された神経組織の中に自分の身体を入れることによって、つまり、電気のメディアを用いることによって、一つの動的状態を打ち立てた。それによって、、これまでの、手、足、歯、体熱調整器官の拡張にすぎなかった技術-都市も含めて、すべてこの種の身体の拡張であった-が、すべて情報システムに移し変えられるであろう。電磁気の技術は、いま頭骨の外部に脳をもり、皮膚の外部に神経を備えた生命体にふさわしい、完全に人間的な穏和と静寂を求めている。人間は、かつて網代舟、カヌー、活字、その他身体諸器官の拡張したものに仕えたときと同じように、自動制御装置のごとく忠実に、いま電気の技術に仕えなければならない。
 コンピュータやインターネットが支配する現代社会を予見させる文章だが、これはいったいメディアの影響を楽観的に見たものなのか、それとも悲観的に見たものなのだろうか?

 話は変わるが、昨日、NTTの電話通信回線が4時間にもわたって麻痺するという事故が起きた。毎日新聞によると、これはスマートフォンの急増によるものだという。
 NTTドコモの携帯電話で相次いだ大規模な通信障害は、スマートフォン(スマホ)の本格普及で通信量が急増し、携帯電話会社のインフラ整備が追いついていない実態を浮き彫りにした。動画やゲームのやりとりなどスマホの多機能化が進み、こうしたデータ通信量は国内で今後数年で10倍以上に膨らむとの見方もある。事業者の対応が伴わないとトラブルもやまず、通信インフラに対する信頼も損なわれかねない。【毎日新聞1月26日】

 若者を中心に、スマートフォンが普及し、使い方も大幅に変わってきているようだ。
 東京都内の男子大学生(22)は「スマホに買い替え、動画投稿サイトなどインターネットを使う時間が増えた」と話し、若者を中心にパソコン代わりに使う場面が増えている。しかもスマホの利用者の多くは、どれだけ通信しても料金が一定の「定額制サービス」に加入しており、スマホの通信量は「(従来の携帯電話に比べて)10倍はある」(通信業界関係者)という。(毎日新聞、同上記事より)

 スマートフォンは、もはや従来のガラケーとはまったく異なる使い方をされているようだ。マクルーハンのことばでいえば、クールだった電話がホットなメディアになっているということなのかもしれない。

 しかし、だからといって、スマホがPCを代替しているのだ、とはいえない。クラウド時代には、PCとスマホは、むしろ、時間的、空間的な情報圏域の中で、相互補完的に使い分けがなされるようになっているのではないだろうか。そうした中で、最近は「ネットブック」を使う人が少なくなっているようにも思われる。自宅や仕事場ではPC+スマホ、移動中はスマホといった使い方が普及しつつあるのかもしれない。それとともに、マクルーハンのように、それぞれのメディア別にその特性を二分法的に捉えるというのは、もはや時代遅れになっているのかもしれない。もっと別の新しいメディア論を構築すべき時期に来ているように思われる。

 ちなみに、私も最近スマホを購入し、いまでは、スマホで毎日、新聞を読んだり、ラジオを聴いたり、音楽を再生したり、ユーチューブで動画をみたり、メールをチェックしたり、とさまざまな使い方をしている。それも、仕事の合間(あるいは仕事をしながら!)。マクルーハンがこれを見たら、スマホとはいったいどんなメディアなんだ、とあきれてしまうかもしれない。ユーザー調査の方法も従来とは大幅に変更しなければいけなくなるような気がしている。

梅棹の情報論 VS マクルーハンのメディア論


 梅棹忠夫さんの「情報産業論」が公表されたのは1963年だった。マクルーハンの『メディア論』が刊行されたのは1964年である。明らかに梅棹さんの方が早い。にもかかわらず、梅棹さんの生態史観にもとづく情報論は、マクルーハンよりも、はるかに大きな広がりと論理的な明晰さを備えている。梅棹さんは「汎情報論」を唱え、マクルーハンは「汎メディア論」を唱えた。しかし、重要なのは、メディアではなく情報であろう。そのことは、後に「情報のメディア戦略」として論じることにしたい。

 梅棹理論の優れた点は、「内胚葉」→「中胚葉」→「外胚葉」というように、生態学的な進化のプロセスを、情報産業の進化にむすびつけて論じ、その中で、外胚葉産業として情報(精神)産業を位置づけた点にある。マクルーハンは、単に脳神経系の拡張としてメディアを論じたにとどまっており、そこには理論性が感じられない。「ホット」「クール」といったメディア特性を論じるが、そこにも理論的な根拠が明確に示されてはいない。マクルーハンのメディア論は、もはやテレビ時代の遺物と化してしまったようである。

 少し残念なのは、梅棹さんが記号やメディアについて生態史的な観点から体系的に論じていないという点である。評者は、「情報」「記号」「メディア」の関連を次のような階層的構造になっていると考えている。

情報・記号・メディアの関係図
 つまり、「メディア」は「記号」の担架体であり、「記号」は「情報」の担架体であるということである。ドーキンスは、『利己的な遺伝子』の中で、遺伝子情報の生存戦略について詳細に論じたが、この考え方から、「情報のメディア戦略」といった考え方を引き出すことができるのではないかと思う。それについては、別途論じることにする。梅棹さんの生態史観と組み合わせるならば、新しいメディア論の構築も不可能ではないような気がする。いずれ稿を改めて論じることにしたい。その前に、ドーキンスの『利己的遺伝子』論を、次回に再読してみようと思う。
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 先に概要を紹介した、ハンセン著『環境、メディア、コミュニケーション』のうち、方法論としての社会構築主義とコミュニケーションとの関連を論じた第2章「コミュニケーションと環境問題の構築」の部分を読みながら、その概要をメモ風に記述しておきたい。

 <構築主義的なパースペクティブとは何か?>

 構築主義が登場したのは、1960年代から70年代にかけてのこと。基本的な視点は、、、「社会問題というのは、客観的な条件というものではない。社会問題や争点などが認識可能になるのは、会話、コミュニケーション、ディスコースによる問題の定義づけによるものである」。

 社会構築主義が広く知られるようになったのは、スペクター&キツセ『社会問題の構築』〔1977〕からである。このアプローチの主眼は、次の点にある。①ある問題や争点が「社会問題・争点」になるのは、だれかがそれについてコミュニケーションし、声をあげ、クレイムを申し立てる場合であり、②それを研究し理解するためにもっとも重要な次元は、クレイムが出現し、公共化され、主張される「プロセス」である。 この考え方が正しいとすると、研究で問われるべきは、あるクレイムが正しいか、それとも間違っているのかということではなく、なぜどのようにして、あるクレイムが広く受け入れられ、他のクレイムが受け入れられずに終わるかという点である。

 これはメディア・コミュニケーションの研究にも当てはまる。なぜなら、ニュースメディアが単なる「世界の窓」「現実の鏡のような反映」だとする伝統的な現実主義的見方を根本的に否定するものだからだ。構築主義的な視座は、ニュース研究において正確さや客観性といった役に立たない測定を迂回することを可能にする。なぜ役に立たないかというと、ある人にとって正確なものが、他の人にとっては歪んだものだからだ。 もし環境問題が「客観的」にそれ自体でアナウンスするものではなく、公共的なクレイム申し立てのプロセスを通じて初めて認識されるようになる、という構築主義者の議論を受け入れるとすれば、メディア、コミュニケーション、ディスコースが中心的な役割を果たし、研究の焦点となるべきだという点も明らかだろう。

構築主義者の議論はメディアの役割を理解する上で、クレイムがどのようにしてメディアの公共的アリーナにおいて促進・生産されるのか、メディアはどのようにして中心的なフォーラムとなり、それを通じてわれわれ受け手や公衆が環境、社会、政治を意味づけるようになるのかという点で含意を持っている。実際、多くの社会組織によるリアリティのシンボリックな構築の大部分は、いまや主としてメディアにおける表象としてつくられているのである。

 社会構築主義者によれば、ある社会問題は一定の「キャリア」パスをたどるという。スペクターとキツセは社会問題が4段階の自然史的過程をたどるというモデルを示唆している。ダウンズも「争点関心サイクル」というモデルを提示している。それによると、さまざまな社会問題は突然公共的なステージに出現し、しばらくの間そこにとどまり、それから次第に公衆の関心から遠ざかってゆくという。環境問題はその典型的な例である。ただし、このような自然史的なモデルに対しては、批判が多いことも確かだが、、。

<メディア報道のサイクル状の展開>

 その後、多くの研究において、環境問題のメディア報道が、ダウンズが示すようなサイクルのようなパターンを示すことが明らかになっている。環境問題のメディア報道に関する長期的研究が示すところによると、環境問題に対するメディアの注目は1960年代半ばに始まり、1970年代初期に最初のピークを迎えた。その後、1970年代から1980年代始めにかけて下がり続け、1980年代後半に急激に上昇し、1990年頃にピークを迎えた。それから1990年代を通じて再び下がり始めた。そして、2000年代にかなりの再上昇を迎えている。

 このようなサイクル状のメディア報道のトレンドは、次のような環境報道のキーポイントを裏付けるものである。

(1)社会問題としての「環境問題」あるいは「環境」といいう概念が公衆議題として初めて登場したのは、1960年代であった。もちろんそれ以前にも、公害報道などはあったが、エコロジーとか、より広い環境といった枠組みが公衆のアリーナに登場したのは、1960年代が初めてである(レイチェル・カーソンの『沈黙の春』がその一つのきっかけとなった)。その後、環境報道は増大していったのである。
(2)社会は「環境」のような問題に対する受容性を変化させる傾向がある。
(3)われわれが1960年代に環境/エコロジーのパラダイムを導入して以降、環境問題はメディアや公衆の議題上にとどまり続けた。気候変動に対する世界的関心の増大は環境パラダイムを確固たるものにした。

<クレイム申し立てとフレーミング>

 ここでは、クレイム申し立ての過程におけるレトリカルな側面について、イバラとキツセのいう「ヴァナキュラーな資源」およびフレーミングという概念をもとに検討を加えたい。イバラとキツセによると、社会問題の構築過程の中心にあるのは、言語あるいはディスコースだという。したがって、研究の中心はクレイム申し立て過程に関わる人々の「ヴァナキュラーなディスプレイ」にある。ここで、「ヴァナキュラーな資源」とは、クレイム申し立てで用いられ得るレトリカルなイディオム、解釈行為、場面の特徴などである。イバラとキツセは、次の5つの研究上の焦点をあげている。①レトリカルなイディオム、②カウンターレトリック、③モチーフ、④クレイム申し立てスタイル、⑤場面。

 イバラとキツセの考え方は、メディア・コミュニケーション研究で広く用いられている「フレーミング」と共鳴する部分が少なくない。例えば、リースはフレームを「社会的に共有され持続する組織化の原理であり、シンボルを用いて社会的世界を有意味的に構造化するもの」と定義している。ギャムソンによれば、「ニュースフレームは何が選択されるか、何が排除されるか、何が強調されるかを規定するものだ」としている。要するに、ニュースはパッケージにされた世界を提供しているのだ。エントマンはフレーミングを次のように定義している。「フレーミングとは、知覚された現実のある側面を選択し、コミュニケーションのテキストの中でより強調することによって、特定の問題を定義し、原因を解釈し、道徳的な評価を与え、問題解決を提示するものである」。クレイム申し立て者は、ニュース制作者と同様に、こうしたフレーミングを行っていると考えることができる。

フレーミングの概念はクレイム申し立てや社会問題の構築に関する分析を次の3つの中心的設問へと導く。 (1)何が争点か?(定義) (2)誰に責任があるか?(アクター、ステークホルダーの認定) (3)何が解決策か?(推奨される行為、処方箋)これらの問題に答えるためには、ギャムソンとモディリアニの分析枠組みが参考になる。彼らによると、フレーミングには、環境を意味づけるためのストーリー/イデオロギー/パッケージという面と、特定のフレームに貢献する構成要素のパーツの作用のふたつがあるという。したがって、彼らによると、「メディア・ディスコースはある争点に意味を与える一組の解釈パッケージ」である。構成要素とは、5つのフレーミング手段(どのように争点を考えるか)(メタファー、エグゼンプラー、キャッチフレーズ、描写、ビジュアルメッセージ)、および3つの理由づけ手段(それについて何をなすべきかを正当化するもの)(ルーツ、結果、原理へのアピール)からなっている。

 以上のように、構築主義者のパースペクティブは、なぜ特定の環境問題が公衆や政治的な関心を呼ぶ争点として認識されるようになるか、それに対し他の環境問題が(重要であるにもかかわらず)公衆の目に触れずに終わるかを分析し、理解する上で有益な枠組みを提供してくれる。構築主義的視座は、クレイム申し立て者の役割と社会問題を基本的にレトリカル/ディスカーシブな行為としての社会問題の定義づけに注目する。さらに、構築主義的視座は、社会問題というものが社会という曖昧模糊としたロケーションで現れるのではなく、認定可能な公衆のアリーナ、とくにメディアを通してアクティブに構築され、定義され、闘われるものであることを示している。メディアは、公共的なアリーナの一つとして、それ自身の組織的、専門的な制約と実践によって支配されているのである。

以上、第2章を要約してみた。構築主義的アプローチでメディア・コミュニケーションを論じた研究は、これまでほとんど見当たらなかったように思う。また、構築主義とフレーミング理論をうまく結びつけ、環境問題のコミュニケーション過程を論じた研究も、著者が初めてだろうと思われる。第3章以降の展開が楽しみだ。
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 みなさま、あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願い致します。

 新年にあたって、今年のメディア、コンテンツの動きを、大胆に予想(期待)したいと思います。

【新聞】
 今年は、「電子新聞」元年ともいうべき大きな変化がみられるでしょう。すでに、毎日新聞、産経新聞が有料の電子新聞サービスを始めていますが、今年は、朝日、読売の二大紙が、日刊新聞のレベルで、低価格の日刊紙サービスに参入するでしょう。

 価格競争が展開されるので、たとえば、朝日新聞の場合、週刊誌のAERAとのパッケージで、月額1000円以下といったサービスを開始するのではないでしょうか?というか、それを期待したいと思います。

 読売新聞も、それに追随して、同じようなサービスを展開するでしょう。読売の場合は、強力な週刊誌がないので、日本テレビと組んで、新しい有料コンテンツの提供を始めるのではないでしょうか。

【テレビ】
 なんといっても、7月の地デジ完全移行で、大きな変化が起きるでしょう。紅白歌合戦でも、必死にPRしていましたが、完全移行に向けてPRをさらに強めることが予想されますが、家庭の2台目以降のテレビでは、デジタル化が遅れることは必須なので、予定通りのスケジュールが実現するのは難しいと思われます。政府も、こうした家庭に対し、無料でのチューナー配布などの対策を取らざるを得ないのではないでしょうか。
 オンデマンド配信については、NHKオンデマンドがどの程度普及するかが一つの鍵になるかと思います。現状では、2つの問題があります。一つは、iPad、iPhoneなどのモバイル端末で見ることができないという問題です。民放のニュースサイトなども同様です。世界標準規格に合わせることが急務でしょう。もう一つは、コンテンツの飛躍的な充実の必要性です。NHKは、すぐれた番組をアーカイブとして保有しています。これを、月額見放題の低廉な価格で提供することが求められています。「約束」倒れ状態が続くようでは、オンデマンド離れを招くことになるでしょう。

【雑誌、書籍】
 昨年は「電子書籍」元年といわれ、多くの出版社、広告代理店、書店などが電子書籍事業を立ち上げました。今年は、それらの間での競争が激化、統廃合が進むと思われます。新聞社やテレビ局も、異業種ながら電子書籍市場に参入するでしょう。なぜなら、これからの電子書籍は、「動画」コンテンツを含んだものが優位を占めるようになると予想されるからです。光回線、WiMaxの普及は、日本が世界最先端を行っていますから、インフラ面の素地はできつつあるといっていいでしょう。問題は、コンテンツ、フォーマット、プラットフォームの整備です。今年がそうした問題の解決に向けた第一歩を踏み出す年になってほしいものです。

 もう一つは、中小規模の書店、出版社の動きです。いわゆるWeb2.0の世界では、売れ筋ではないが、専門的な分野では潜在的ニーズの高い書籍を扱う出版社や書店が苦境に立たされていますが、デジタルコンテンツの広がりの中で、「ロングテール」を担う、中小出版社、書店が一致連合して、マーケットを拡大し、生き残りをはかるという動きが本格化するでしょう。EPUBの日本向け企画が今春にスタートするというのは、どの意味ではグッドニュースでしょう。

【ラジオ、映画】
 ラジオは、オーディオメディアですが、今年は、やはり「電子書籍」とのタイアップが進むのではないでしょうか?たとえば、「語学講座」などは、書籍や雑誌と連携して、「音の出る雑誌」が人気を集めるかもしれません。
 映画は、相変わらず停滞状態にあります。中小の映画館が営業を続けられないという事態も進行するかもしれません。
 欧米では、映画のコンテンツがiPadなどに対応し、多くの映画コンテンツがiPadなどで安価で見られるようになっています。とくに、レンタルビデオのラインアップが充実しています。日本でも、TSUTAYAなどが中心になって、300円から400円の価格でレンタルビデオのiPad配信を開始するのではないでしょうか?

【ソーシャルメディア】
 なんといっても、昨年世界を席巻したfacebookが日本でどの程度普及してゆくのかが注目の的です。ミクシー、グリー、モバゲーなどの日本勢がこれに対抗して、どんな新たな囲い込み戦略を展開するかが見所でしょう。とくに、既存メディア(テレビ、新聞、雑誌など)との連携がどう進むのか、大きな期待がもてます。

 以上、ざっと今年のメディア、コンテンツの動きを予想もしくは期待するメッセ-ジを書いてみました。どのくらいが実際に実現するものか、これからまた、日々ウォッチし続けたいと思っています。

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いつもはWindows PCでBlogを更新しているのですが、このブログをはじめてiPadで書いています。ソフトキーボードは、ブラインドタッチがしにくいので、いつもの倍以上時間がかかります。 それでも、慣れると、両手で入力ができることがわかりました。これなら、WiFi環境にある場所でBlogを随時更新できそうです。 モバイルWiFiルーターがますます欲しくなってきました。
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 NHKオンデマンドの表紙ページは、映像の一覧が横にスクロールされるように表示されます。マガストアも、雑誌の表紙を横スクロールで一覧できるようになっています。

 考えてみれば、テレビでも雑誌でも、オンデマンドの感覚は共通しています。今年は、まさにオンデマンド元年だったといえるかもしれません。他の従来型マスメディアは、オンデマンド併用が当たり前になる時は、もうすぐそこまで来ている、とこの1年を振り返って思いました。

 来年は、オンデマンドのコンテンツを飛躍的に充実させる年になるでしょう。放送、新聞、雑誌、出版界の対応を引き続きウォッチしていきたいと思います。

※NHKオンデマンドは、iPadに対応していないようです。Flash Playerがダウンロードできず、動画画面が表示されないのです。対応できるよう、改善を要望したいところです。
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 メディア・リテラシーについて調べようと思い、国会図書館のOPACで「メディア・リテラシー」というキーワードを入れてタイトル検索してみたところ、なんと50冊もの文献がヒットしました。よほど、研究テーマとして普及してきたのだなあ、と改めて感じました。

 この分野の代表的研究者だった鈴木みどりさんによれば、メディア・リテラシーとは、「市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創り出す力」のことをいいます(鈴木みどり編『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』世界思想社 1997)。

 この定義では、メディア・リテラシーの主体は、もっぱらオーディエンス(受け手)であるように思われますが、さきほどの検索では、「送り手のメディア・リテラシー」という、より広い意味でも使われるようになっているようです。

 具体的な事例をいくつか調べてみましたので、備忘録的に少し書き留めておきたいと思います。

■1989年 朝日新聞「サンゴ礁捏造記事」問題
■1992年 NHKドキュメンタリー「やらせ」捏造問題
■1999年 テレビ朝日「所沢ダイオキシン」誤報問題
■2007年 関西テレビ「あるある大事典Ⅱ」捏造問題

1989年朝日新聞「サンゴ礁」捏造問題について

 朝日新聞は、1989年4月20日(木)夕刊第1面「写'89地球は何色?」の環境シリーズ企画記事において、K・Yのイニシャルで傷つけられた、西表島沖のアザミサンゴの写真を掲載し、これに基づき、自然保護を訴える記事を載せましたが、その後の調査で、この傷は朝日のカメラマン自らがつけたものとわかり、5月20日付け、朝刊1面および3面で正式に謝罪しました。
 
  朝日新聞サンゴ礁捏造記事で謝罪報道(5月20日)600pixel
      1989年5月20日『朝日新聞』朝刊3面より

 自然保護を訴える、環境キャンペーン記事で、送り手自らが自然破壊をしていたということで、大きな反響と非難をあびる結果となりました。

 私も、当時この記事を見て、大きなショックを受けたことを覚えています。その後、朝日新聞は、どのような環境報道を行ってきたでしょうか?専門的な「環境ジャーナリスト」を養成するという努力を払ってきたでしょうか?

 この事件直後、マスメディアはいっせいに朝日の報道を取り上げ、多数の報道陣が、現地沖縄のサンゴ礁に殺到し、逆に周辺のサンゴ礁を荒らすという、「メディア・スクラム」(被災現場への取材殺到のこと)を演じました。これもまた、強く批判されなければならないと思います。

 オーディエンスのメディア・リテラシーというより、送り手のメディア・リテラシーが問われた事件といえるでしょう。

参考文献・資料:
朝日新聞 1989年4月20日夕刊1面、5月16日朝刊、5月20日朝刊
中村庸夫(なかむらつねお)『サンゴ礁の秘密』祥伝社ノンポシェット 1995年, pp.57-65
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