1992年 NHKドキュメンタリー「やらせ」捏造問題
 1992年9月、二夜連続で放送された、NHKスペシャル『奥ヒマラヤ 禁断の王国・ムスタン』が、やらせ場面を多く含んでいる、ということで、1993年2月、朝日新聞のスクープにより、大きな社会問題になりました。

 この番組では、高山病にかかったスタッフが大げさに苦しむ様子を再現させたり、故意に流砂を起こさせ、その場面を撮影したり、延々と「やらせ」場面を収録・編集し、放送したということです。なかでも、流砂の再現場面などは、人命の危険を伴う行為だけに、許されざるものといえるでしょう。

 このドキュメンタリー番組に、フリーのフォトジャーナリストとして、番組の広報用写真を提供するという条件で、「NHKスペシャル」取材班に同行した小松健一氏が、やらせの実態を現場から告発しています。小松氏は、本書を執筆した動機を、次のように述べています:

「このムスタン「やらせ」事件を多角的に検証し、一つの教訓として、今後のジャーナリズムのありかたに生かすのではなく、逆に昨今の選挙報道、テレビ朝日報道局長発言や一連の「政治改革」報道などに見られるように、国民の目を真実からそらせ、ジャーナリズムへの信頼を根底から崩してしまうような報道が、日増しに多くなっている。私がこのムスタン「やらせ」事件について、どうしても書き残そうと思い立ったのは、今日のこうしたマスメディアの状況を危惧したからである。また、問題の取材現場に居合わせた者の責任として、事実をきちんと明らかにしておかなければならないと痛感したからである。」
 やらせ番組がなぜ作られるのか、その背景についても、詳しく検討しています。NHKなのに、ディレクターは視聴率アップに汲々としている、などは公共放送として本末転倒の発想です。

「やらせ」なしにはドキュメンタリー番組はつくれない、という識者もいますが、『ムスタン』の場合に、それがあまりにも過剰だったようです。「朝日新聞」の捏造事件と同様に、送り手のメディア・リテラシー(報道倫理)が問われた事例といえるでしょう。

 なお、『送り手のメディア・リテラシー』(2005年 世界思想社)の編者である黒田勇さんは、

「視聴者に「リテラシー」が必要だと呼びかけるより前に、その委託に答えるだけ十分に受け手のニーズが理解できているのか、どのような潜在的ニーズがあるのか、どのような表現が必要なのか、などなど送り手自身が放送というメディアの社会的な役割、文脈を理解し、実践していく必要があるのではないか
と述べていますが、同感です(下線筆者)。


参考文献:
小松健一『ムスタンの真実-「やらせ」現場からの証言』1994年 リベルタ出版

ムスタンの真実―「やらせ」現場からの証言
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