梅田望夫(2006)『ウェブ進化論』(ちくま新書)を再読してみた。出版当時は、ベストセラーになり、巷で話題に上ったという記憶がある。これに対して、単にトレンディなキーワードを並べただけで、中身が薄いといった批判も、当初からあった(池田信夫ブログなど)。あれから5年たった現時点で、本書のキーワードをもとに、どれだけの変化があったかを検証してみたい。

「チープ革命」
 これについて、著者はムーアの法則にもとづいて、「映像コンテンツの製作・配信能力は、皆が持っているパソコン、周辺機器、インターネットの基本機能の中に組み入れられ、テレビ局の特権ではなく誰にも開かれた可能性となった」と述べている。たしかに、ユーチューブ、u-streamなどを通じて、無限に近い映像が一般人によって配信されていることは事実だ。けれども、5年経ってもなお、コンテンツの質が大幅に向上しているようには見えない。テレビ局(プロダクション)が莫大なコストをかけて製作する番組コンテンツがやはり圧倒的に多いことも事実だ。ユーチューブでもっとも人気のあるコンテンツも、既存のテレビ番組というのが現状ではないだろうか。「総表現社会」というの言葉も、いまなお行き過ぎのきらいがある。新しいメディアを使って「表現」したいという欲求をもつ人々の割合は、30年前と同じく、せいぜい1割くらいというのが実情ではないだろうか。それはそれでいいような気がする。可能性と現実のギャップは依然として大きいのだ。

「グーグルが主役」
 ネット検索の世界では、いまなおグーグルが主役であることは確かだ。しかし、グーグルが玉石混淆問題を解決してくれるという点も、やはり楽観的すぎる意見のような気がする。専門用語などをグーグルで検索すると、必ずといっていいほどウィキペディアが出てくる、などを考えると、「石」のようなウェブサイトが上位にランクされる可能性は否定できない。ネット上での「人気」や「評判」と実力は必ずしも比例するわけではないのだ。

「オープンソース」
 この言葉は、1990年代のリナックス開発に端を発したもので、知的財産の無償公開という流れのことをいう。ウィキペディアなども、マス・コラボレーションによるオープンソースの一つだ。これがうまく集積されれば、知の自動秩序形成システムが生まれるだろう、と著者は言う。これも今では常識になっている現象で、新鮮みは感じられない。

ネットの「あちら側」と「こちら側」
 この言葉は、梅田さんの造語のようだ。いまの言葉でいうと、「あちら側」は「クラウド」、こちらがわは市販のソフトウェアということになろうか。個人のパソコンにインストールされているソフトウェアは、こちら側に属し、グーグルのGメールや、グループウェアなどは「あちら側」のサービスといえるだろう。この二分法も、いまや常識になっている。

ロングテールとWeb2.0
 ロングテールという言葉は、クリス・アンダーソン氏(米)がつくった造語で、いわゆるパレートの法則に反し、売り上げ曲線の「恐竜の首」部分が圧倒的に大きな売り上げを生むのではなく、「しっぽ」(テール)部分がかなり大きな売り上げを生み出す、という新しいビジネスモデルのことをいう。アマゾンコムなどがその典型的な例としてげられている。いまでは、普通名詞として「ロングテール」とか「ニッチ」などが使われているようだ。

 ウェブ2.0は、2005年半ばから広く使われるようになった新語で、「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく同能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」をさしているという。SNS、ブログ、ツイッター、はてな、などはその一例だ。

 どの言葉も、現在では「ソーシャルメディア」と呼ばれるようなネットサービスの特徴をもっており、いまでは常識化している。言葉そのものは、梅田さんも書いているように、ネット世界では、次々と新語が生まれては、すぐに消えてゆく運命にあるようだ。もっと本質をつくような概念なり理論モデルが生まれないものだろうか?単なる造語では、いまのテクノロジーの進化に追いつくことはできないように思われる。

 ともあれ、梅田さんの著書『ウェブ進化論』は、5年前の世界では、一般の読者に対しては、かなりの衝撃をもって受け止められたが、5年たった今では、一般人にとっても「常識の世界」になっており、改めてこの5年間の変化を感じる。

 梅田さんご自身は、東日本大震災以降、ご自身のブログを更新されていない(オープンな情報発信をされていない)ように拝見するが、そちらの方が少し気になるところだ。