今日の午前中、お台場の「科学未来館」で開催中の「ウメサオタダオ展」を見学した(入場料金1000円)。写真撮影を許可されたので、さっそく写真を中心に展覧会の模様をご紹介したい。
あいにくの雨模様で肌寒い一日だったが、雨ニモマケズ、「知の巨人」の実像に迫るべく、科学未来館を訪れた。交通手段は、新橋からゆりかもめで約15分。「船の科学館」駅下車徒歩5分。

科学未来館の外観
今年は科学未来館開設10周年のようだ。「ウメサオタダオ展」の垂れ幕が目につく。10時に行ったところ、長蛇の行列だった。日曜日だからだろう。梅棹忠夫展が目当ての人は少ないようだ。

館内に入ると、吹き抜けの空間に巨大な地球儀がまわっている。迫力満点だ。その一角に、ウメサオタダオ展の入り口があった。開館直後のせいか、入場者はちらほらという感じで、ゆっくりと見学することができた。

吹き抜け空間の巨大な地球儀。映像がゆっくりと回っている
展示会場に入ると、すぐに目当ての「フィールド・ノート」を探し、見つけることができた。

モンゴルでつけた膨大なフィールド・ノート
これは、「知的生産の技術」で紹介されている「発見ノート」に近いものだろうか。いや、実際には、「発見ノート」の実物を見つけることはできなかった。ちょっと残念。0番から48番まで、計49冊ということになる。
次に見たのは、「京大式カード」。キャビネットに収められている。

「京大式カード」(アドレスカード)と展示会場の全景
京大式カードは、実物が手に触れることができたが、その肌触りは、ざわざわしており、またインクがすぐに吸収されやすいように加工されており、作者の「こだわり」が実感できた。

「こざね」制作用具の一式
梅棹さんのもう一つの「発明」は、こざねと呼ばれる小さなカードだ。これをつくるために、専用のカッターを使っていたという。その実物が上の写真だ。ここでも、知的生産ツール制作への「こだわり」を強く感じた。

「ローマ字」研究書
梅棹さんの、さらなるイノベーションは、「ローマ字」採用の提案だろう。これは普及せずに終わったが、グローバル化を見据えた学者ならではの発想といえよう。

岩波書店発行の「図書」連載から生まれた『知的生産の技術』
『知的生産の技術』は、1969年、岩波書店発行の「図書」に連載された記事をもとにつくられたものである。上の写真は、その冊子と、執筆用につくったファイルである(写真は、『続・知的生産の技術』関連ファイル)。数々の独創的なアイディアに満ちた本が生まれる過程を想像することができる。本書はなんと88刷を数える超ベストセラーになった。私も発売直後に購入し、夢中になって読んだことを覚えている。

『知的生産の技術』原稿

梅棹さんの「汎情報論」メッセージ
梅棹さんは、世界で初めて「情報」を広い意味で自然界や社会に遍在し、情報社会の基盤となるものとしてとらえた方だ。そのメッセージは、上の写真でも強調されているとおりである。1963年には、「情報産業論」という革新的な論文を発表し、「工業社会」の次にくる時代を「精神(情報)産業」の時代と位置づけ、知的世界に大きなインパクトを与えたのである。その「情報産業論」執筆に用いたファイルが展示されていた。思わずため息が出る。

梅棹さんは、文化人類学のフィールドで、数多くの絵も残している。とてもお上手なので、感心してしまった。さすが、「知の巨人」だけのことはある。

梅棹さん自筆の水彩画(達筆だ)
最後に、京大式カードを直に触れて、感想を残せるコーナーがあったので、その肌触りを感じながら、「京大式カードに、スティーブ・ジョブズと同じ”こだわり”を感じた」という感想文を書きつけた。知的(情報)生産ツールへの徹底的なこだわりに、ジョブズを思い浮かべたのであった。

「知の巨人」の一端に触れることができたのは、幸いだった。帰りがけに、『丸善』で、「発見のノート」に使えそうな小型の手帳を購入した。カードは、もはや置いてはいなかったが、手書き式の小型ノートの価値は、いまなお失われてはいないと強く思う。
たまたま会場では、Science Communicatorの方による15分間のツアーが行われていたので、参加した。参加者は10名ほどだったが、年配のインテリとおぼしき方が多く、さすが梅棹忠夫展だけのことはあると思った。ミュージアムショップで『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡』を購入した。これから少しずつ読み進め、この偉人について、より深く理解したいと願っている。
関連サイト:
・ウメサオタダオ展公式サイト
あいにくの雨模様で肌寒い一日だったが、雨ニモマケズ、「知の巨人」の実像に迫るべく、科学未来館を訪れた。交通手段は、新橋からゆりかもめで約15分。「船の科学館」駅下車徒歩5分。

科学未来館の外観
今年は科学未来館開設10周年のようだ。「ウメサオタダオ展」の垂れ幕が目につく。10時に行ったところ、長蛇の行列だった。日曜日だからだろう。梅棹忠夫展が目当ての人は少ないようだ。

館内に入ると、吹き抜けの空間に巨大な地球儀がまわっている。迫力満点だ。その一角に、ウメサオタダオ展の入り口があった。開館直後のせいか、入場者はちらほらという感じで、ゆっくりと見学することができた。

吹き抜け空間の巨大な地球儀。映像がゆっくりと回っている
展示会場に入ると、すぐに目当ての「フィールド・ノート」を探し、見つけることができた。

モンゴルでつけた膨大なフィールド・ノート
これは、「知的生産の技術」で紹介されている「発見ノート」に近いものだろうか。いや、実際には、「発見ノート」の実物を見つけることはできなかった。ちょっと残念。0番から48番まで、計49冊ということになる。
次に見たのは、「京大式カード」。キャビネットに収められている。

「京大式カード」(アドレスカード)と展示会場の全景
京大式カードは、実物が手に触れることができたが、その肌触りは、ざわざわしており、またインクがすぐに吸収されやすいように加工されており、作者の「こだわり」が実感できた。

「こざね」制作用具の一式
梅棹さんのもう一つの「発明」は、こざねと呼ばれる小さなカードだ。これをつくるために、専用のカッターを使っていたという。その実物が上の写真だ。ここでも、知的生産ツール制作への「こだわり」を強く感じた。

「ローマ字」研究書
梅棹さんの、さらなるイノベーションは、「ローマ字」採用の提案だろう。これは普及せずに終わったが、グローバル化を見据えた学者ならではの発想といえよう。

岩波書店発行の「図書」連載から生まれた『知的生産の技術』
『知的生産の技術』は、1969年、岩波書店発行の「図書」に連載された記事をもとにつくられたものである。上の写真は、その冊子と、執筆用につくったファイルである(写真は、『続・知的生産の技術』関連ファイル)。数々の独創的なアイディアに満ちた本が生まれる過程を想像することができる。本書はなんと88刷を数える超ベストセラーになった。私も発売直後に購入し、夢中になって読んだことを覚えている。

『知的生産の技術』原稿

梅棹さんの「汎情報論」メッセージ
梅棹さんは、世界で初めて「情報」を広い意味で自然界や社会に遍在し、情報社会の基盤となるものとしてとらえた方だ。そのメッセージは、上の写真でも強調されているとおりである。1963年には、「情報産業論」という革新的な論文を発表し、「工業社会」の次にくる時代を「精神(情報)産業」の時代と位置づけ、知的世界に大きなインパクトを与えたのである。その「情報産業論」執筆に用いたファイルが展示されていた。思わずため息が出る。

梅棹さんは、文化人類学のフィールドで、数多くの絵も残している。とてもお上手なので、感心してしまった。さすが、「知の巨人」だけのことはある。

梅棹さん自筆の水彩画(達筆だ)
最後に、京大式カードを直に触れて、感想を残せるコーナーがあったので、その肌触りを感じながら、「京大式カードに、スティーブ・ジョブズと同じ”こだわり”を感じた」という感想文を書きつけた。知的(情報)生産ツールへの徹底的なこだわりに、ジョブズを思い浮かべたのであった。

「知の巨人」の一端に触れることができたのは、幸いだった。帰りがけに、『丸善』で、「発見のノート」に使えそうな小型の手帳を購入した。カードは、もはや置いてはいなかったが、手書き式の小型ノートの価値は、いまなお失われてはいないと強く思う。
たまたま会場では、Science Communicatorの方による15分間のツアーが行われていたので、参加した。参加者は10名ほどだったが、年配のインテリとおぼしき方が多く、さすが梅棹忠夫展だけのことはあると思った。ミュージアムショップで『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡』を購入した。これから少しずつ読み進め、この偉人について、より深く理解したいと願っている。
関連サイト:
・ウメサオタダオ展公式サイト
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