情報の文明学
こんな本をご存じだろうか。
1988年に刊行された梅棹忠夫さんの論文集。研究室の書棚に埋もれていたが、ウメサオタダオ展に行ったこともあって、久しぶりに開いてみた。目次の中から、主立ったところだけを抜き出してみると、、
・放送人の誕生と成長(1961年)
・情報産業論(1963年)
・情報産業論への補論(1988年)
・四半世紀のながれのなかで(1988年)
・情報産業論再説(1968年)
・実践的情報産業論(1966年)
・情報の文明学(1971年=1988年)
・情報の考現学(1971年=1988年)
上の目次の中で、=としてあるのは、梅棹さんが1971年に大量のメモ(おそらくは、こざねと京大カード)を書きためておいたものを、1988年に中央公論社から正式に刊行したという意味である。ここにも、梅棹式の知的生産技術の成果が見て取れる。
ここでは、梅棹さんの「知的生産の技術」を逆さまにして、本書の内容から、とくに印象に残る「メモ」を再現するという形で、梅棹情報学を紐解いてみたい。
放送人の誕生と成長
じつは、ある一定時間をさまざまな文化的情報でみたすことによって、その時間をうることができる、ということを発見したときに、情報産業の一種としての商業放送が成立したのである。そして、放送の「効果」が直接に検証できないという性質を、否定的にではなしに、積極的に評価したときに、放送人は誕生したのである(p.14)「情報産業」「放送人」という、今日では当たり前のように使っていることばは、梅棹さんのこの論文で初めて使われたのである。つまり、1961年である。「情報産業論」が刊行される2年前のことだ。
かれら(放送人)のエネルギー支出を正当化する文化的価値というのは、もっともひろい意味での「情報」の提供ということであって、倫理的、道徳的な価値とはまるで尺度のちがうものである。その点では、おなじジャーナリズムあるいはマスコミとよばれる世界の住民のなかでも、新聞人のほうが、まだしも倫理的、道徳的な尺度を保存している。(p.17)
情報産業論
「情報産業」の定義
本論文の第1章は、「情報産業」というタイトルがつけられている。そして、冒頭に「情報産業」の定義が記されている。
なんらかの情報を組織的に提供する産業を、情報産業とよぶことにすれば、放送産業というものは、まさにその情報産業jの現代におけるひとつの典型である。放送産業は、そのすみやかな成長ぶりで目をみはらされたけれど、かんがえてみれば、情報産業は放送だけではない。新聞雑誌をもふくめて、いわゆるマスコミという名でよばれるものは、すべて情報産業に属する。現代をマスコミの時代とよぶことができるならば、現代はまた、情報産業の時代といってもいいかもしれない。(p.29)
これが、有名な「情報産業」の宣言文である。 このあと、「情報」をさらに広く定義し、情報産業のカバーする領域を広く定義し直している。
しかし、情報ということばを、もっともひろく解釈して、人間と人間とのあいだで伝達されるいっさいの記号の系列を意味するものとすれば、そのような情報のさまざまの形態のものを「うる」商売は、新聞、ラジオ、テレビなどという代表的マスコミのほかに、いくらでも存在するのである。出版業はいうまでもなく、興信所から旅行案内業、競馬や競輪の予想屋にいたるまで、おびただしい職種が、商品としての情報をあつかっているのである。こういうものをも情報産業とよぶのがおおげさでおかしければ、単に情報業とよぶことにしてもよい。(p.30)
続いて、情報業の歴史をたどってみれば、
たとえば、楽器をかなで、歌をうたいながら村むらを遍歴した中世の歌比丘尼や吟遊詩人たちも、そのような情報業の原始型であったとみることもできる。(p.30)
産業史の三段階
この章は、情報産業を文明史的に位置づけ、「三段階」説を唱えた部分である。「農業の時代」→「工業の時代」→「精神産業の時代」という独自の図式である。
情報産業は工業の発達を前提としてうまれてきた。印刷術、電波技術の発展なしでは、それは、原始的情報売買業以上にはでなかったはずである。しかし、その起源については工業におうところがおおきいとしても、情報産業は工業ではない。それは、工業の時代につづく、なんらかのあたらしい時代を象徴するものなのである。その時代を、わたしたちは、そのまま情報産業の時代とよんでおこう。あるいは、工業の時代が物質およびエネルギーの産業化がすすんだ時代であるのに対して、情報産業の時代には、精神の産業化が進行するであろうという予察のもとに、これを精神産業の時代とよぶことにしてもよい。(p.41)
人類の産業の展開史は、農業の時代、工業の時代、精神産業の時代という三段階をへてすすんだものとみることができる。現在は、第二段階の工業の時代にあって、いまなお世界の工業化は進行中であるが、すでに一部には第三段階の精神産業の時代のきざしがみえつつある、そういう時代なのである。(p.42)
まさに、1960年代というのは、工業時代から精神(情報)産業の時代への転換期にあったということができる。いま、2010年代は、そうした情報産業が成熟期を迎えた時代と捉えることができよう。
外胚葉産業の時代
この章もまた、梅棹さんの独創的な着想があふれている。三段階発展史を「生物学」的に捉え直しているのだ。
それぞれの時代は、有機体としての人間の機能の段階的な発展ともかんがえることができるのである。まず、農業の時代にあっては、生産されるものは食料である。(中略)この時代は、消化器官系を中心とする内胚葉諸器官充足の時代であり、これを内胚葉産業の時代とよんでもよいであろう。
つぎに、第二の工業の時代を特徴づけるものは、各種の生活物資とエネルギーの生産である。それは、いわば人間の手足の労働の代行であり、より一般的にいえば、筋肉を中心とする中胚葉諸器官の機能の拡充である。その意味で、この時代を中胚葉産業の時代とよぶことができる。
そして、最後にくるものは、いうまでもなく外胚葉産業の時代である。外胚葉諸器官のうち、もっともいちじるしいものは、当然、脳神経系であり、あるいは感覚器官である。脳あるいは感覚器官の機能の拡充こそが、その時代を特徴づける中心的課題である。(p.42-43)
この考え方は、マクルーハンのメディア論を思わせるものがある。つづく次の文章は、それを如実に物語っている。
こうして系列化してみるとき、人類の産業史は、いわば有機体としての人間の諸機能の段階的拡充の歴史であり、生命の自己実現の過程であるということがわかる。この、いわば人類の産業進化史のながれのうえにたつとき、わたしたちは、現代の情報産業の展開を、きたるべき外胚葉産業時代の夜あけ現象として評価することができるのである。
情報の価格決定
この章もまた、ユニークな情報論だ。新しい情報経済学といってもよい。現在の経済学はどれも、中胚葉産業時代の経済学jにすぎないとして、梅棹さんは、「情報」という財の価格決定の不確定性を指摘し、情報財独特の価格決定システムに言及する。
外胚葉産業が優越するような時代になれば、やはり外胚葉産業が経済の中心になるだろうし、ものの価格決定も、外胚葉産業の生産物の価格決定法に歩調をあわせなければならないようになるだろう。いまは情報が擬似商品としてあつかわれているけれど、そうなれば逆に商品が擬似情報としてあつかわれるようになるかもしれない。そのとき、情報あるいは擬似情報の価格というものは、どうしてきまるであろうか。(p.48)
そこで持ち出されたのが、有名な「お布施の原理」である。
お布施の原理
じつはここで、情報の価格決定法についてひとつの暗示をあたえる現象がある。やはり宗教家の場合だが、坊さんのお布施である。あれの価格はどうしてきまるか。お経のながさによってきまるわけでもなし、木魚をたたく労働量できまるのでもない。お経のありがたさは、何ビットであるか、とうてい測定はできない。それでも、どこの家でもなんとなくお布施の額を限定して、それだけをつつんでわたす。(p.49)
なにか、謎解きのような問いかけだ。それに対する梅棹流の答えは、、、。
お布施の額を決定する要因は、ふたつあるとおもう。ひとつは、坊さんの格である。えらい坊さんに対しては、たくさんだすのがふつうである。もうひとつは、檀家の格である。格式の高い家、あるいは金もちは、けちな額のお布施をだしたのでは、かっこうがつかない。お布施の額は、そのふたつの人間の社会的位置によってきまるのであって、坊さんが提供する情報や労働には無関係である。まして、お経の経済的効果などできまるものではけっしてない。(中略) 情報の提供者と、うけとり手との、それぞれの社会的、経済的格づけは、いちおう客観的に決定することができるはずのものである。このふたつの格の交点において価格がきまる、というかんがえかたなのである。(p.50)
「格づけ」によって情報財の価格が決まるという考えは、今日のインターネット時代では、当たり前のようになっている。いわゆる口コミサイトやソーシャルメディアでは、ユーザーによる「格づけ」(評価)が、情報財の価値を決定しているからである。お布施の原理の適用例として、梅棹さんは、他にもいくつかの例をあげている。「原稿料」と「電波料」だ。(これは、「ウメサオタダオ展」でも、陳列されたファイルの中に見て取れた)。
原稿料と電波料
まず、原稿料について。
たとえば、講演料やラジオ、テレビの出演料などは、実質的にやはりこのお布施原理によって支はらわれているのだろう。もっとも、現行の格づけが妥当であるかどうかは別問題である。原稿料などというものも、ほぼおなじ原理にしたがっているようだが、これのほうは、一枚あたりの単価がお布施原理できまるのであって、あとはそれに枚数を乗じて計算するようである。次に、電波料について。
放送産業のほうでは、ちかごろ民間放送において各局ともに、電波料の算定基準をいかにすbげきかということが重大な問題となりつつあるようだ。 (中略) そこは外胚葉産業時代の開拓者にふさわしく、いっそのこと、はじめからお布施の理論によって決定することにしてはいかがであろうか。つまり、電波の価格はすべて、放送局の格と、スポンサーの格と、このふたつによってきめるのである。
この論文の最後は、次のように締めくくられている。
企業の公共性と経済学
「格」というのは、いわばそれぞれの存在の、社会的、公共的性格を相互にみとめあうということにほかならないのである。社会的、公共的性格を前提としないで、個別的な経済効果だけを問題にしてゆく立場からは、情報産業における価格決定理論はでてこない。
わたしは、お布施の原理が、これからの外胚葉産業時代における最大の価格決定原理になってゆくのではないかとかんがえている。
このように、お布施原理にもとづく社会的・公共的価格決定理論を基礎とする「外胚葉産業時代」の経済学を唱えたのである。これが、現代の情報経済学にどのような影響を与えたのかは、寡聞にして知らない。着想としてはたいへん興味のある理論であり、だれでも受け入れられる形で一般化できれば、すばらしいのだが、、、。
次に、梅棹さんによる「情報」論を、いくつかの論文で見ておこう。
情報産業論への補論
補論 2 感覚情報
梅棹さんはここで、「情報」という概念を、さきの「情報産業論」よりも、はるかに広く定義し直している。
さきに「情報産業論」のなかでは、情報というものをまた、人間と人間とのあいだで伝達されるいっっさいの記号の系列」というふうにいった。情報ということばを、せまい意味に解すればこれでもよいが、より一般的な理解のためには、情報の概念をもっとひろく解しておくほうがいいようにおもう。まず、情報はひととひととの関係とはかぎらない。たとえば、イヌもまたシッポをふり、ほえたてて情報を発信しているのである。人間はまた、命令という形の情報をイヌにむかっておくりだすことができる。おなじように、動物以外のもの、あるいは無生物さえも情報をおくりだしているものとかんがえることができる。たとえば、月や星という天体さえも情報のおくり手である。光という形で、あるいは電波やX線という形でおくられてくる情報を、われわれはとらえることができる。そしてそれを解読して、その天体の本性をあきらかにすることができる。 (中略) 正確にいえば、天体が情報をおくりだしているのではない。情報はその天体とともに存在するのである。その情報を情報としてうけとめ、それを解読するのは人間の側の問題である。よりいっそうふみこんでいえば、受信されることもなく解読されることのない情報はいくらでも存在する、ある意味では、世界はそのような情報でみちているのである。
こうした情報概念は、いわゆる記号論では、当たり前のように論じられているのではないだろうか。梅棹さんは、さらに「汎情報論」ともいえる論を展開する。
情報はそれ自体で存在する。存在それ自体が情報である。それを情報としてうけとめるかどうかは、うけ手の問題である。うけ手の情報受信能力の問題である。(中略) もっともひろい意味に解すれば、人間の感覚諸器官がとらえたものは、すべて情報である。
このような「汎情報論」をもとに、梅棹さんは、人間の感覚にうったえかける情報を、「感覚情報」と名づけ、それを産業化したものを「感覚情報産業」と呼んでいる。具体例としては、音楽、映像、嗅覚産業(香料など)、繊維産業、ファッション、観光産業、スポーツなども、感覚(体験)情報産業としてあげている。たしかに、これらの産業では、情報的な付加価値が大きな比重を占めているので、すべて「情報産業」の一部だといってもさしつかえないだろう。
さて、時間もないので、途中の論文をはしょって、本書初出の論文「情報の文明学」の紹介へと移ろう。
情報の文明学
情報の意味
「情報とはなにか。人間にとって情報とはなにか。」これが、本論文のテーマのようである。軍事情報、産業情報など、いわゆるプラグマティックな情報とは別に、無意味な情報というのも数多く存在する。そこに、梅棹さんは情報の本質を見るのである。有名な「コンニャク情報論」がそれだ。
コンニャク情報論
コンニャクとはどういう食品かというと、
サトイモ科の植物で、地下におおきな球茎を生じて、それから食用のコンニャクをつくる。その主成分はマンナンとよばれる物質で、これはたべてもほとんど消化されない。つまり、栄養物としては価値のない食品である。いくらたべても、消化管のなかをすどおりするだけである。栄養的に価値がないにもかかわらず、われわれはこれを食品として常用し、そのために大規模なコンニャク栽培もおこなわれている。これはいったいどういうことであろうか。
栄養価がないからといって、食品として無価値であるとはいえない。それは、歯ざわりその他で味覚に満足をあたえ、消化管のなかにはいることによって満腹感をあたえる。(中略) これの通過によって、消化器官系はおおいに興奮し、活動する。
情報も、コンニャクみたいなものだ、と梅棹さんはいう。
情報をえたからといって、ほとんどなんの得もない。それは感覚器官でうけとめられ、脳内を通過するだけである。しかし、これによって感覚器官および脳神経系はおおいに緊張し活動する。それはそれで生物学的には意味があったのである。 (中略) 情報には、なんの利益ももたらさないし、プラグマティックな意味ももたないものもたくさん存在するのである。
コンニャクもまた食品の一種であったように、コンニャク情報もまた情報の一種である。情報理論では、有意味情報以外のものをノイズとして排除するが、コンニャク情報論の立場にたてば、ノイズも情報の一種であり、排除するわけにはいかない。ノイズさえも感覚器官、脳神経系を興奮させるのである。(p.189)
まさに生物学者、梅棹忠夫の面目躍如といったところだろうか。今日的にいえば、「道具的情報」に対する「コンサマトリー情報」の重要性を説いたということだろうか。
次のメッセージは、「ウメサオタダオ展」でも、パネルに大きく引用されていた部分である。(前回のブログの写真を参照されたい)
情報とコミュニケーション
世界は情報にみちている。すべての存在それ自体が情報である。自然もまた情報であるからこそ、観光という情報産業が成立する。社会もまたすべて情報である、だからこそ社会探訪のルポルタージュが成立し、フォト・ジャーナリズムが流行するのである。
情報はあまねく存在する。世界そのものが情報である。(p.193)
情報の生態学
情報を生態学的に捉えると、どのように表現できるだろうか。また、情報と文化との関連はどのようなものか。それをまとめたのが本章である。それを、「メモ」の束で解きほぐしてみよう。
地球はひとつのおおきな磁石であるといわれる。北磁極と南磁極をつらぬく線を軸として、全地球が磁場を形成している。 (中略) 今日の地球上の情報的状況は、これと似ている。地球上のすべての地域は情報場となった。情報は全地球をおおいつくしているのである。(p.206)
情報はすでにひとつの環境である。環境と生物との相互作用をとらえるのが生態学(エコロジー)の仕事であるとすれば、人間と、環境としての情報の関係をとらえるのは、情報生態学の問題である。情報は、生態学の観点からとらえなおす必要があるだろう。(p.206)
これは、私が探求している「メディア・エコロジー」の考え方と非常によく似ているので、共感がもてる。梅棹さんは、つづけて、「情報力学」の構想も披露している。
環境としての情報は、いまや個々の人間のいとなみから独立しつつあるようにみえる。情報はそれ自体の存在様式をもち、運動形態をもつ。ほとんど個々の人間とはかかわりをもたない形での情報のうごきを、それ自体としてとらえることが必要であろうし、可能でもあるとおもわれる。情報は、ときには奔流のように急速にながれ、ある場合には停滞する。あるときは渦をまき、あるときは噴出する。その運動は、あるいは流体に似ているかもしれない。流体のうごきを流体力学がとらえるように、情報のうごきをとらえる情報力学をかんがえることができるかもしれない。(p.206-207)
現代でいえば、ツイッターの流体力学などを連想することができるかもしれない。
次に、情報と文化の関係についての論述にみておきたい。梅棹さんは、文化と情報の類似性を指摘している。
個人の存在をこえて、情報が環境を形成しているという点では、情報は文化にちかい。文化は人間がつくりだしたものであるけれど、個々の人間にとっては、すでに存在する環境である。あるいは与えられた環境である。個人は、その環境としての文化から自由になることはできない。しかし、それにはたらきかけて、なにごとかをなすことはできる。情報もおなじである。それは人間がつくりだしたものではあるが、個々の人間にとっては、あたえられた環境である。しかし、その環境むかって、自分自身もなんらかのはたらきかけをすることはできるのである。(p.207)
文化とは、集団の共通の記憶のなかに蓄積された情報のたばである。それは個人の生命をこえて存在する。だれがつくったにせよ、人間はそれから自由になることはできない。その意味では、文化文字補も空気に似ている。あるいは酸素に似ている。それは、はじめからあったものではない。われわれは、そのなかでいきてゆくほかはないのである。(p.207)
このようにみていくと、梅棹さんの情報論は、数々の生物学的、あるいは生態学的なアナロジーで満ちているように思われる。最後に、「文明の情報史観」という章からいくつかのフレーズを抜粋して、本稿を締めくくりたいと思う。
文明の情報史観
文明史的にみて、情報そのものの存在は、文明のもっとも初期の段階までさかのぼることができるであろう。しかし、情報の伝達、処理、蓄積のための装置群の大規模な開発は、それほどふるいことではない。現代を特徴づけるのは、それら情報関連装置群の爆発的展開である。それによって、いまやあたらしい時代がひらけようとしているのである。(p.222)
工業の時代というのは、人類史における、単なる過渡期にすぎなかったのかもしれない。(中略) 工業の時代は、人類の文明史における究極の時代ではなかったのだ。情報の時代、あるいは情報産業の時代こそは、この一連の過程のなかでは、人類史が到達しうる最終段階なのかもしれない。人類はそれを目ざして営々と、装置群すなわち人工環境づくりにはげんできたわけではないけれど、結果においてそうなったのである。こうして文明は、情報というあたらしい人工環境を大規模に展開しはじめているのである情報こそはあたらしい装置群の一種である。人間は、みすからつくりあげた情報という環境ととtもに、あたらしいシステムを構築しつつある。文明系は新段階にはいろうとしている。
最後に、情報による価値の大転換を予言して、この章は完結している。
工業の時代のはじまりとともに、人類は価値のあたらしい基準を発見したように感じた。工業は人間の環境をかえ、制度、組織をかえた。それは価値の大転換をもたらした。しかし、それはほんとうに大転換であったのかどうか。それは単に、情報という、より根源的な価値転換の先駆形態であったのかもしれない。あたらしい時代において、情報は人間の装置、制度、組織に、いっそう根本的な変革をもたらすであろう。人間はそのときにこそ、根本的な価値の大転換を経験することになるであろう。(p.223)(おわり)
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