私の担当する講義「メディアコミュニケーション学概論」では、今週から5回連続で「インターネットの歴史」を取り上げることにしている。その中の1回を「デジタルディバイド」に当てることにしている。言い換えれば、「デジタルディバイド」は、インターネット発展史の一コマになったということでもある。これまでのインターネット史は、「黎明期」(ARPAネットの誕生まで)、「成長期」(TCP/IPの採用とグローバルメディアへの成長、メール、USENET)、「マルチメディア化」(WWW、ウェブの誕生)、「急成長期」(デジタルディバイドの発生、携帯インターネット)、「WEB2.0の時代」(Google、CGM)、「ソーシャルメディアの登場」(Facebook、twitter、LINEなど)の6期に分けることができるだろう。デジタルディバイドの問題が取り上げられ、大きな政策上のイシューになったのは、インターネットが急成長期(一般家庭への普及期)に入った1994年から2000年にかけてのことである。
かつて、テレビが発展途上国ではまだ十分に発展していなかった頃、「知識ギャップ仮説」が脚光を浴びたことがあった。「マスメディアが社会に普及するとき、学歴や所得などの社会経済的地位が高い人ほど、マスメディアを通じて多くの知識を得ることができる。その結果、マスメディアの導入によって、学歴所得の高い人と、低い人との間で、知識のギャップが拡大する」というのが、この仮説の要旨である。しかし、現在では、テレビは世界中に普及し、貧困家庭でもテレビの1台は所有することになり、この仮説は終焉しつつある。それに代わって、1990年代に登場したのが、「デジタルディバイド」(Digital Divide)という概念であった。
かつて、テレビが発展途上国ではまだ十分に発展していなかった頃、「知識ギャップ仮説」が脚光を浴びたことがあった。「マスメディアが社会に普及するとき、学歴や所得などの社会経済的地位が高い人ほど、マスメディアを通じて多くの知識を得ることができる。その結果、マスメディアの導入によって、学歴所得の高い人と、低い人との間で、知識のギャップが拡大する」というのが、この仮説の要旨である。しかし、現在では、テレビは世界中に普及し、貧困家庭でもテレビの1台は所有することになり、この仮説は終焉しつつある。それに代わって、1990年代に登場したのが、「デジタルディバイド」(Digital Divide)という概念であった。
そのきっかけとなったのは、アメリカのクリントン民主党政権が打ち出した「NII(全米国家情報基盤=情報スーパーハイウェイ)構想」である。この構想を唱えたのは、副大統領のアル・ゴアだった。これを受けて、政策立案の基礎資料を得るために、NTIA(商務省国家電気通信情報管理局)が、インターネットの利用実態に関する全国世帯調査を実施し、1994年11月に最初の報告書を発表した。
「デジタルディバイド」という言葉が人口に膾炙するようになったのは、1999年7月にアメリカ商務省が”Falling Through the Net: Defining the Digital Divide”という報告書を発表したのがきっかけだった。この報告書では、とくに、黒人やヒスパニックなどの人種的マイノリティ、低所得層、低学歴層、農村地域や都市中心部居住者が、インターネットなどの情報資源へのアクセスから疎外されている、と指摘し、これが世界的な反響を呼ぶことになったのである。
2000年夏に日本で開催された「九州・沖縄サミット」では、 「デジタルデバイド」が地球規模の経済格差を引き起こしている重大な問題として、主要議題として取り上げられた。また、OECDの報告書(2001)でも、デジタルデバイドを「テレビ、電話、インターネットなどのITにアクセスする機会における、社会経済的レベルでの個人、世帯、企業、地域間の格差(gap)」と捉え、とくに「所得」と「教育」が格差を規定する重要な要因だと指摘した。
実際、1999年から2001年頃は、インターネットの普及率が急速に高まっていった時期であるが、同時に、インターネットの利用にかかるコストがまだ高く、インターネット利用のハードルも比較的高い時期であり、低所得層、高齢層、低学歴層、マイノリティ層のネット利用率が低いという「デジタルディバイド」が調査データでも明確にみられた。私が参加していた「ワールドインターネットプロジェクト」(WIP)でも、こうしたデジタルディバイドが顕著にみられた。
その後、とくに先進諸国では、デジタルディバイドの縮小という傾向がみられるようになり、アメリカでもブッシュ政権の誕生とともに、「デジタルインクルージョン」というように、デジタルディバイドが解消に向かっているかのような言説が目につくようになった。2004年以降は、Web2.0という新たなバズワードが登場し、CGMなど消費者参加型のメディア、ブログやSNSなどユーザーフレンドリーなネットサービスの登場、ネット料金やPCの低廉化などもあり、デジタルディバイドの問題は、正面切って論じられることがあまりなくなり、現在に至っている。情報通信白書でも、「デジタルディバイドの解消」を大きく取り上げたのは、平成23年版が最後である。
しかし、新たに「ブロードバンドディバイド」「ケータイディバイド」などの言葉もあらわれるなど、インターネットのユーザー間での格差は依然として指摘されているのが現状である。また、最新の情報通信白書(平成26年版)などをみても、60歳以上の高齢者層や年収200万円未満の低所得層では、インターネット利用率は依然として低い水準にとどまっており、デジタルディバイドが解消されたとはいいがたい。
生まれたときからインターネットが身近にあり、ネットとともに育った「デジタルネイティブ」においてさえ、インターネットを使いこなしている層と十分には使いこなしてはいない層の間の格差が存在するという実証研究もある("Digital Na(t)ives? Variation in Internet Skills and Uses among Members of the "Net Generation" by Eszter Hargittai )。
したがって、デジタルディバイドは、どのような社会階層の間にも依然として存在し、これを解消するための努力は引き続き行われなければならないだろう。
「デジタルディバイド」という言葉が人口に膾炙するようになったのは、1999年7月にアメリカ商務省が”Falling Through the Net: Defining the Digital Divide”という報告書を発表したのがきっかけだった。この報告書では、とくに、黒人やヒスパニックなどの人種的マイノリティ、低所得層、低学歴層、農村地域や都市中心部居住者が、インターネットなどの情報資源へのアクセスから疎外されている、と指摘し、これが世界的な反響を呼ぶことになったのである。
2000年夏に日本で開催された「九州・沖縄サミット」では、 「デジタルデバイド」が地球規模の経済格差を引き起こしている重大な問題として、主要議題として取り上げられた。また、OECDの報告書(2001)でも、デジタルデバイドを「テレビ、電話、インターネットなどのITにアクセスする機会における、社会経済的レベルでの個人、世帯、企業、地域間の格差(gap)」と捉え、とくに「所得」と「教育」が格差を規定する重要な要因だと指摘した。
実際、1999年から2001年頃は、インターネットの普及率が急速に高まっていった時期であるが、同時に、インターネットの利用にかかるコストがまだ高く、インターネット利用のハードルも比較的高い時期であり、低所得層、高齢層、低学歴層、マイノリティ層のネット利用率が低いという「デジタルディバイド」が調査データでも明確にみられた。私が参加していた「ワールドインターネットプロジェクト」(WIP)でも、こうしたデジタルディバイドが顕著にみられた。
その後、とくに先進諸国では、デジタルディバイドの縮小という傾向がみられるようになり、アメリカでもブッシュ政権の誕生とともに、「デジタルインクルージョン」というように、デジタルディバイドが解消に向かっているかのような言説が目につくようになった。2004年以降は、Web2.0という新たなバズワードが登場し、CGMなど消費者参加型のメディア、ブログやSNSなどユーザーフレンドリーなネットサービスの登場、ネット料金やPCの低廉化などもあり、デジタルディバイドの問題は、正面切って論じられることがあまりなくなり、現在に至っている。情報通信白書でも、「デジタルディバイドの解消」を大きく取り上げたのは、平成23年版が最後である。
しかし、新たに「ブロードバンドディバイド」「ケータイディバイド」などの言葉もあらわれるなど、インターネットのユーザー間での格差は依然として指摘されているのが現状である。また、最新の情報通信白書(平成26年版)などをみても、60歳以上の高齢者層や年収200万円未満の低所得層では、インターネット利用率は依然として低い水準にとどまっており、デジタルディバイドが解消されたとはいいがたい。
生まれたときからインターネットが身近にあり、ネットとともに育った「デジタルネイティブ」においてさえ、インターネットを使いこなしている層と十分には使いこなしてはいない層の間の格差が存在するという実証研究もある("Digital Na(t)ives? Variation in Internet Skills and Uses among Members of the "Net Generation" by Eszter Hargittai )。
したがって、デジタルディバイドは、どのような社会階層の間にも依然として存在し、これを解消するための努力は引き続き行われなければならないだろう。
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