ジョン・マン著『グーテンベルクの時代:印刷術が変えた世界』には、そのような細部へのこだわりに異常な執念を燃やしたグーテンベルク像の一端が描かれている。最初の印刷物『42行聖書』について、次のように記述されている。
デザインとしては、二段になった文章欄が優雅なバランスを保ち、装飾用に幅広い余白が残っている。それは筆写の伝統に従ったものだ。二つ折り版のページは、横と縦について非常に重要な関係が規定されているいわゆる「黄金分割」にもとづいて、ふたつの長方形で構成される。
デザインのなかのあるひとつの要素は、グーテンベルクによる発案の可能性がある。それは右端の余白をそろえることだ。これは筆写人にはできない。・・・植字というのはこの筆写人の理想を実現するチャンスだ。セットされた活字にもどって、行の長さを調整するために鉛のスライバー(細片)を単語の間に差し込んで、幾何学的な純粋性という追加的な要素を達成するのである。・・・グーテンベルクの植字は均等で美しく、つまっているようにはみえない。彼は現代人がもう行っていないという圧縮という、あの筆写のあらゆる奇術を用いることによって、これを達成している。
このようなささいな点こそ、よく見る価値がある。グーテンベルクの質にかんする強迫観念。この場合は狂気の瀬戸際にまでにじりよっているようにみえる執着をあきらかにしているからだ。(p.155)
たしかに、左の写真をみると、その造形的な美しさは際立っていることがわかる。行の右端が見事に合っている。しかも、現代のワープロではありがちな、文字間の不均等なスペースもほとんど感じさせない、すばらしい出来映えだ。単なる複製出版物という以上の、芸術作品を思わせる作品が、「メディアの世界を変えた」と称される所以だろう。
※グーテンベルクの活版印刷術の出版経緯:
グーテンベルクは、1400年頃、ライン河畔のマインツで都市貴族の長男として生まれた。1436~40年頃、シュトラースブルクに滞在し、宝石加工、手鏡制作技術を習得したが、この頃すでに書物印刷に必要な活字の鋳造、植字、印刷に関する技術を修得していたと推測されている。マインツに帰省後の1448年頃、グーテンベルクは印刷術を完成させるため、ヨハン・フストに資金提供を仰いだ。フストは印刷機械や紙、インクなどの購入用にグーテンベルクに資金を貸し付けたが、その後両者の間にトラブルが起こった。 そして、1455年、グーテンベルクが『42行聖書』の印刷をほぼ完成させた頃、フストから契約不履行で訴えられ、印刷機械一式と印刷工ペーター・シェーファーを取り上げられてしまった。その結果、フストはシェーファーとともに『42行聖書』を独自に完成させたといわれている。この間のくわしい経緯は謎に包まれているが、グーテンベルクが1450年から1455年の間に活版印刷技術を完成させたことは事実のようである。
1450~55年頃、グーテンベルクは鉛とアンチモンの合金を使った活字を印刷機に組み込み、羊皮紙と紙の両方を使って、『42行聖書』と呼ばれる世界最初の活版印刷物を作った。そして活版印刷術は、それまでの手書き写本に代わって「活字メディア」を新たに誕生させることになったのである。
さて、iPad3はどのようなものになるのか、それとも他の社から理想的なタッチパッド端末が発行されるのか、いまから楽しみだ。